アスペ妻と理系男子夫とのおかしな夫婦闘争

"Strange"ではなく"Unique" ~ アスペルガーから見たアスペルガー

アスペルガーでも成長する6 ABCの会話:CじゃなくてB!②

高校時代は、私の世界が一番広がった時期でしたが、それは、ABCの会話の方程式が分かったからです。「コミュニケーション」とは何なのかを、本当の意味で理解したのだと思います。最初は正直、自分の溢れ出る思考を抑えるがストレスでしたが、会話のキャッチボールができてくると自分が発想しないような思考へ話が発展することもあり、会話とは新たな自分を発見できる楽しいものなのだと知りました。

ただ、どんな人とも会話が成立するわけではありませんでした。私の興味が偏りすぎなので会話の内容が変わっていて、会話を途中で止めてしまう人達がいたからです。それでも会話がどんどん進むことが多くなったことは、私にとって激変ともいえる大きな変化でした。とはいっても、「普通」までの隔たりが大きいので、周りから見たら小さな変化にしか見えなかったかもしれません。まぁ、会話ができるって、本当に「普通」のことですからね。

その「普通」ができるようになり、私はちょっと勘違いします。私が変わっていると思われていたのは、会話の方程式を理解していなかったからだったんだと。会話の方程式を完全に理解してマスターしたら、私は「変」から「普通」になるのだろうと。「普通」になりたかったわけではないのですが、なれないと思っていたものになれるというのは、ちょっとどきどきするものです。「私、だんだん普通になっていくのかな。でも、uniqueじゃなくなるのも嫌だよね」なんて思ったりしましたが、無用な心配でした。会話の方程式を完全に理解するなんて私には無理でしたし、私が「変」なのはコミュニケーションだけだったわけではないので。

異常な記憶力。私のいくつかある大きな特性の一つです。

高校は超進学校だったたこともあり、成績上位者の表にはたまに載っていたようですが、毎回は載らなくなっていました。そのため、自分の成績は普通だから、「変ではなくなった!」と思うようになり、勉強に対して自分に疑問を持たなくなっていきました。勉強には相変わらず興味が持てなく、授業も聞かない、ノートも取らない、高校は塾には行かなかったので、勉強は本当に定期試験の1日前だけ。それであの成績を維持していたのはおかしいんですけどね。天才ではないですが、異常な記憶力だったと今も思います。集中して一度見たらだいたい覚えていて、結構ずっと記憶が残ります。

高校時代は、今までになく会話も成立するようになり、勉強も普通と感じていたので、自分が「普通なのかもしれない」とさえ感じていました。友達は私よりも目立つ個性を持っている人も多く、周りから沢山の刺激を受け、本当に楽しい日々でした。

しかし、楽しい時間が終わりをつげ、社会(外の世界)に自分独りで踏み出す時期が近づいていることを初めて気づいた時期でもありました。

外の世界は私には未知の世界でしたし、恐怖でもありました。超進学校だったので大学進学は当たり前のことではあったのですが、私が大学進学を決めたのは、ただの「逃げ」でした。勉強に興味がない私は、大学にも興味がありませんでした。それなのに大学へ行こうと思ったのは、社会に正面からぶつかるのがまだ怖かったからなのだと思います。

大学に行くとは決めたものの、大学へ興味が持てなかった私は、行きたい大学も行きたい学部もあやふやなままでした。大学とは何をするところなのかも理解していませんでしたし、理解しようともしていませんでした。

それでも受験する大学と学部を決めなくてはならない時期になり、自分は何に興味があるのか、何をしたいのかを少し悩みました。自分が一番興味があるもの。それは「空想の世界」でした。私の空想の世界の設定はアメリカだったので、アメリカに行って設定を完璧にすべきという思いが強くなりました。アメリカの大学へ行くほど行動力も金銭的余裕もなかったので、アメリカの大学に1年間くらい交換留学で行くことを思いつき、たまたまいいプログラムがある大学を知って、そこへ進学しようと思うようになりました。今思い返すと、なんて適当に大学を選んだのかと眩暈がします。

高校時代を振り返ってみて、思うことがあります。私は自分の興味があるものしか興味を持つことができませんでした。これも私の特性の一つです。「コミュニケーション」も「勉強」も興味が持てなかったので、適当に過ごしていました。でも、ひょんなことから「コミュニケーション」の楽しさに気付き、会話をしようとするようになりました。大学も卒業するまで興味が持てずにいましたが、卒業してから東大の本郷キャンパスへ行く機会があり、大学に初めて興味を持ちました。なんというか、本郷キャンパスに入ったとたん衝撃が走り、「大学」が私の中に入ってきたのです。初めて大学とは何なのかを理解したのだと思います。

私の特徴なのだと思うのですが、興味のないことには理解する気さえ全くおきないのですが、いったん興味を持つと真っ直ぐにそれだけにつきすすみます。「コミュニケーション」は中々真っ直ぐなだけでは乗り越えられないものがあります。でも、東大の本郷キャンパスに中学くらいに行っていたなら、「ここに行きたい」と思って勉強していたと思うのです。そしたら、人生変わっていたかもとたまに思ったりします。相手の気持ちを推し量れない私は、何人かに「勉強にもう少し興味を持てていたら、東大に行けたと思うんだよね」と言ったことがありました。もちろん、相手は「何言ってんだ」という顔をするので、何人かに言った後、ようやく言うべきことじゃないことを理解して、今は言わないようにしています。ここも私の大きな問題ですね。たらればは意味がないし、勉強に興味が持てて勉強していたとしても行けたかどうかは分からないのは理解しています。東大に行きたかったということではないんです。ただ、中学の頃に勉強に興味を持っていたら、東大に行けるだけの学力がついただろうという変な確信があるだけです。でも、アメリカへの交換留学に選ばれるほどではないだろうとは思っています。

私は今の自分が最高に幸せだと思っています。東大のような大学へ行って、アメリカへ交換留学へ行かなかったなら、今の旦那とも会えていなくて、息子ちゃんにも会えなかった。中学時代に東大の本郷キャンパスへ行かなくてよかったと思っています。適当に大学を選んでよかった、と。

私のように興味が極端な人がいたら、全く興味がないものにもちょっと違ったアプローチをすると興味を持つようになるかもしれません。新しい情報や刺激は、興味につながることが多い気がします。興味が増えれば、視界が広がります。それが外の世界へと続いていることもあります。でも興味を持つとまっしぐらなので、あまり沢山ではなく必要だと思えるものに興味が持てるとよいのだと思います。実際、何が幸せに繋がっていくのかは分りません。少なくとも私は「勉強」に興味を持っていたら、今の幸せには繋がっていなかったと思いますので。