アスペ妻と理系男子夫とのおかしな夫婦闘争

"Strange"ではなく"Unique" ~ アスペルガーから見たアスペルガー

理系男子夫とのおかしな闘争1

まだまだアスペルガーの成長について書きたいことはありますが、ブログタイトルにあるのにずっとほっといている理系男子夫について今回は書きます。

「理系男子夫」と敢えて書いているとおり、「超」理系の旦那です。ドラマ「ガリレオ」の湯川教授みたいというのが一番分りやすいかも。もちろんあんなにかっこ良くはありません。最近はおなかぷっくりで、「ザ、おじさん」です。でもあのドラマは、「やっぱりうちの理系男子夫は変なんだ」と再確認できたのでとても良かったです。アスペルガーの「変」とは違いますが、かなり「変」なんです、うちの旦那。

湯川教授の口癖の一つに、「実に非論理的だ」がありますよね。うちの理系男子夫は、私と話しをしている時によく「論理的じゃない」と言いながら冷めた目を私に向けます。最初はカッチーンと来ていましたが、福山の湯川教授を見てから、許せるようになりました。「ガリレオ」は家庭を救ってくれました。確かに私の話が論理的じゃない時もありますが、うちの旦那は一つの出来事で色々な意味があるということが理解できないことが多いのです。

うちの理系男子夫にとって、答えは一つしかないのです。真実は一つしかない。そのとおりなのですが、世の中、そうじゃない時もありますよね。正しいことがまかり通らないときがある。アスペルガーの私にだって分ることが、うちの旦那には分らないのです。

「世間ていうのは、1+1が2にならないことがある」と私はよく言うのですが、理系男子夫は哀れみの目で私をみて、「大丈夫か?小学校で習わなかったのか?1+1が2だって。1+1が2以外になることは絶対にない」と諭すように言います。「もう一度小学校に行った方がいいんじゃないか?」まで言います。このやりとりを漫才じゃないですが、何回もやっています。数学じゃなくて「世間」って言っているんですが。。。まぁ、本当に世間知らずな人なのでしょうがないのかもしれません。

例えば、法律の解釈が複数あったり、古い短歌や詩といった文学作品にいくつかの解釈が存在していたりしますが、そういうのが理解できないというか嫌いなんです。答えは一つだけ、なので。

それと、会話は「起承転結で話せ」とよく言われます。でも「転」て会話にいつも必要なのだろうか?とそのたび思います。「今日こういうことがあって、こうなったんだよ」という話のどこに「転」を作ればいいのか。理系男子夫にとって、報告形式の会話は会話ではないらしいです。私は会話が下手という自覚はすっごくありますが、夫婦の会話で「転」を求められても。。。私の日常生活はそんなに起伏に飛んだものではありませんから。理系男子夫は確かに会話が上手で、いつも「転」があります。彼の人生は確かに起伏に飛んでいるので、「転」も必ずあるのでしょう。

理系男子夫は関西人ではないのですが、西の人間なので、西の人はそういう文化なのかと最初は思っていました。でも、旦那の家族を見ていると文化の違いではないと思います。私は東の端の人間なので、たまに文化の違いを感じますが。

そんな理系男子夫と私の家庭は、多分、他の家庭では起こりえない驚きとおかしさに満ち溢れており、ある意味退屈はしない毎日を送っています。