アスペ妻と理系男子夫とのおかしな夫婦闘争

"Strange"ではなく"Unique" ~ アスペルガーから見たアスペルガー

アスペルガーとカミングアウトした時の母と妹の反応

まず、なぜ私がアスペルガーかと自覚したのか。それは、子供が生まれて育児書を読んだからです。育児書を読んだ人は分かると思いますが、育児書って発達障害についての説明がかなり詳細に書いてあるんです。


育児書読んだ時、愕然としました。答えがそこにあったからです。そう、ずっと疑問に思っていた答えが書いてありました。

私はなぜ周りと違うのか。なぜ皆が「変」と私を言うのか。ずっと不思議に思っていました。

でも、アスペルガーの特徴なのでしょう。別に悩んでいたわけではありません。それに、自分がアスペルガーと自覚してショックもありませんでした。「そういうことだったんだ」と納得しただけです。

自分以外の人に自分がアスペルガーだと初めてカミングアウトしたのは、子供がまだよちよち歩きの頃、高校の友達の家に遊びに行った時です。アスペルガーのことは、別に隠そうとしていたわけではなく、育休中でほとんど家から出ない日々だったので、ただ単に話す機会が無かっただけでした。ただ、自分の子供がアスペルガーかもと心配はしていて、子供成長をよく見るようにしてはいました。自分が今までどれだけ生きづらかったかをよく知っているので、療養とかで生きづらさが少しでもよくなるなら、そうしてあげたかった。今のところ、息子ちゃんは、多分違うような気がします。でも最近、小学校の先生から「忘れ物が多いです」と連絡が来るのがちょっと気になってはいます。私は・・・超忘れ物が多い子供でしたので。。。

初めてのカミングアウトの発端は、その友達から「私、自分がADHDだと思うんだよね」と話題を振ってきたからです。私は、「私は自分がアスペルガーだと思う!」と嬉しくなり、その後は、発達障害の話で盛り上がりました。

高校時代の友達は、私以上に個性的な子が多く、ほとんどが何らかしらの発達障害を持ってそうな気がします。その地区の一番の進学校だったんですが、超進学校って、知的障害を伴わない発達障害が一定数間違いなくいます。類は類を呼ぶとは言ったもので、私の仲のよいグループのメンバー全員が学校で浮いていました。浮いていても、みんな気にもせず、楽しく高校生活を送っていました。高校時代の友達のみんながみんな、高校生活が一番楽しかったと言います。それはきっと、みんなそれまで生きづらかったんでしょうね。高校は一番友達が増えた時期で、私ものびのび生活ができ、一番楽しい時期でした。この話はまた今度。

発達障害の話が盛り上がって楽しかったので、他の知り合いにも「私ってアスペルガーだと思うんだよね~」と話題を何度か振りました。いわゆる「一般の人々」にです。「何言ってるの、そんな事ないよ~」と毎回言われ、微妙に話題が盛り上がりません。盛り上がらない理由もよく分からなかったのですが、旦那から「話をするなら笑いを取れ」と教育され、反抗しつつも少し染まっていた私は、盛り上がらないから話はしないようになってました。うちの旦那はアスペルガーではないのですが、めんどくさいおかしな人です。本当はこの話をしたくてブログを始めようと思ったのですが、この話もまた今度。

そんなかんなで数年が過ぎ、母と妹と3人で一緒に話をしている時に、何となく「私ってアスペルガーだと思うんだよね」て話をしました。

二人とも「今頃気づいたの?」と興味なさそうな顔をして私をじっと見るだけ。

何らかしらのリアクションを期待していた私は超不満でした。もう少し興味を持つとか、驚くとか反応があるでしょう。

「自分の事しか興味ない子だったもんね」(母)。「浮いていたもんね」(妹)。興味なさそうに言った言葉がそれでした。

・・・いや、確かに自分にしか興味が無かったし、浮いていたとは思う。

「でも、私、いい子だったでしょう?」

論点はそこじゃないのだけど、ちょっと反抗してみました。親に反抗することも少なく、勉強もでき、わがままもあまり言わない良い子だったはず。

「自分の事しか興味が無かったからでしょう」(母)。

・・・ぐうの音もでないとはこのことで。小学校の頃、私は空想の世界と現実世界を行ったり来たりが大変で、自分の中ですべてが完結し、自分以外の人の評価とかは全く興味がありませんでした。そう思うと本当に成長したな、私。

「お父さんも発達障害だったと思うんだよね。やっぱり遺伝かな」と私がしみじみ呟くと、「お父さんは昔気質で職人気質だっただけで、発達障害とかではないよ」(母)、「お父さんは頑固だっただけだよ」(妹)と、なぜか反論されました。

父は亡くなっているのですが、仕事を十数回変えています。理由は人間関係。コミュニケーション下手な人でした。まさに、発達障害の特徴だと思うのです。でも、母も妹も頑なに賛成しません。

なぜ!!私の時はあんなにあっさりな反応だったのに、納得できない!!私よりもコミュニケーション下手だった父なのに、私は発達障害(認定)で、父は発達障害(未承認)てどういうこと!!

未だに納得がいかないところですが、それだけ私は周りから見て「変」だったということなのかもしれません。。。。

アスペルガーは治らないが成長できる

ついこの間、テレビでアスペを紹介していて、専門家が「アスペルガーは治らないが、「普通」と周りが思える程度に成長はできる」と言っているのを聞いて、なるほどと思いました。私も、何段階かのステップを経て成長し、周りからは「ちょっと変わった人」くらいで受け入れてもらえています(多分)。

大学卒業して入った職場で十数年勤務し、末端の中間管理職程度ですが、そこそこ仕事も認められ、平均年収以上の給与は貰っています。職場環境もよく、人間関係も良好です。

結婚もして、小学生低学年の息子が一人います。

ただ、ここまで来るのにはやはり山あり谷ありでした。

全員ではないですが、ほとんど人が私を「普通」と思ってくれるまでに成長できた過程を綴り、それが誰かのキーワードになればといいなぁと思っています。

アスペ妻と理系男子夫とのおかしな夫婦闘争

ブログを始めようと思ったのは、理系男子夫のおかしな習性・行動をぶちまけてやりたい衝動にかられたからです。

でもよく考えたら、妻の私自身もかなり変で、多分アスペです。アスペの習性・行動を紹介することは、自分もアスペかもと思っている人達、自分の子供がアスペではと不安に思っている人達に、何かを伝えられるのではと思い、まずは自分のアスペについての記事を書いていこうと思っています。

そして、理系男子夫のおかしな習性・行動も紹介し、アスペ妻と理系男子夫とのおかしな夫婦闘争についても紹介して、皆さんにくすっと笑ってもらいたいと思っています。