アスペ妻と理系男子夫とのおかしな夫婦闘争

"Strange"ではなく"Unique" ~ アスペルガーから見たアスペルガー

アスペルガーでも成長する6 ABCの会話:CじゃなくてB!③

アスペルガーは、得意なことと興味があることが一致すると相乗効果が生まれる事があるように思います。研究者にアスペルガーが多いのも、得意なことと興味があることが一致した良い例なんだと思います。興味を持つと真っ直ぐにそれだけにつきすすんでいく、研究者に必要な資質ですから。

私は記憶力が良いということで、仕事がかなり良い方向へ進みました。ある一つの自分が興味がある分野を徹底的に覚え、職場でもトップクラスの知識を持ちました。その後、その分野と間接的に関係のある自分も少し興味がある分野の勉強をしました。この二つの知識を持っている人ってなかなかいなかったこともあり、重宝されています。

でも、自分が不得意な事にも興味を持つ事は結構重要なんですよね。私は運動音痴です。にもかかわらず、小学校の頃にはまっていたバスケの漫画の影響で、ミニバスケをしていました。ただただ、バスケが好きだったので、いじめられても下手でも、小学校の間ずっと続けていました。よく続けられていたなと今では思います。その頃から「変」と周りに認識されていたので、パスの練習の時とかに意味も無くよく外されていました。私が触ったボールを「汚い」と皆に言われたり。それに、どんなにがんばって練習しても、先天的に運動音痴だと限界があります。いつも補欠でした。でも、たまに試合に出れる事もあり、それだけで本当に楽しかったのです。その時に運動をがんばったおかげか、運動音痴でしたが、高校まで体育はそれなりになんとかこなせる程度の筋力とかがつきました。小学校の頃にミスバスケをしていなかったら、体育は散々な結果になっていたと思います。旦那からも「お前が運動をやっていたとは到底思えない」とよく言われますが、私自身も本当にそう思います。


私はよく「幸せ」「幸せ」と書いてますが、少しこの事について説明しておこうと思います。実際、こういう風に思えるまで本当に色々ありました。アスペルガーだから直面する山や谷も沢山ありましたが、大病を患ったり、自分が遭遇するとは思いもしなかった悲しい出来事を色々経験し、今がどれほど幸せなのかを身にしみて感じるようになったのです。「最高の幸せ」と前回書きましたが、他の人にとったらささいな幸せだと思います。でも、そのささいな幸せというのが、かけがえのないものなんだと実感しています。

朝に目が覚めないのではないかという恐怖を感じた日々もありました。今は、普通に目覚めてご飯を食べれて仕事に行けますが、それは本当はすごいことなんだと思っています。「普通の生活」ってすごいことなんです。私も「普通の生活」のことができなくなって、その事を初めて知りました。

ある日、寝かしつける時に、息子ちゃんが学校で褒められて上機嫌だったようで、「こんないい子の息子がいて嬉しい?」と聞いてきました。少し腹がたちました。『赤ちゃんが産まれるってことは奇跡なんだよ。息子ちゃんが産まれてきたのも奇跡。そんな奇跡に巡り合えて、お母さんは本当に嬉しい』と私はいつも伝えていました。「お母さんは、今ここに息子ちゃんがいてくれることだけで本当に嬉しい」とだけ言いました。息子ちゃんはちょっとびっくりしたような顔をして、それから布団に顔をうずめました。少し嬉しそう?な感じでした。人に迷惑をかけない子に育てる。それも本当に重要なことだと思っています。でも、赤ちゃんが産まれることがまず本当に奇跡なんですよね。子供が育って、傍で笑ってくれているなんて、さらにすごい奇跡です。息子ちゃんが産まれる前、色々とあり、赤ちゃんの準備がほんとできずにいました。最低限のベビー服とおむつ、布団だけを用意して、私の出産の後の入院中に、旦那にあれこれ指示して、他の必要な物を買ってもらいました。

色々と本当にあり、不幸だけしか見えなくなっていた時期もありました。でも、辛い時期に小さな幸せを感じると、ほんわかと気持ちが和らぎました。本当にささいなことです。「ご飯が美味しく食べれた」とか「今日の朝目覚めたとき、いつもより体が軽かった」とかです。そんなこともできなかった日々が続くと、その小さな幸せがかけがえのないものだと知りました。それから、「小さな幸せ探し」を始めました。「今日は大好きなご飯が食べれた」「面白いテレビ番組が見れた」「昨日は頭痛が酷くてできなかったことが今日はできた」とか、よく探すと小さな幸せは一杯あって、小さな幸せに囲まれている私は本当は幸せなんだと知りました。そして次第に、小さな幸せがどんどん増えていきました。

でも明日何が起こるかなんて誰も分かりません。幸せがずっと続くことは「奇跡」であり、あたり前のことではないのですから。だから、今のこの瞬間の幸せをしっかりと感じて毎日過ごさなくてはと思っています。将来の事を心配していも時間がもったいないだけです。正直自信はありませんが、どんな時でも「小さな幸せ」を見つけて、感謝して生きたいと思っています。

アスペルガーでも成長する6 ABCの会話:CじゃなくてB!②

高校時代は、私の世界が一番広がった時期でしたが、それは、ABCの会話の方程式が分かったからです。「コミュニケーション」とは何なのかを、本当の意味で理解したのだと思います。最初は正直、自分の溢れ出る思考を抑えるがストレスでしたが、会話のキャッチボールができてくると自分が発想しないような思考へ話が発展することもあり、会話とは新たな自分を発見できる楽しいものなのだと知りました。

ただ、どんな人とも会話が成立するわけではありませんでした。私の興味が偏りすぎなので会話の内容が変わっていて、会話を途中で止めてしまう人達がいたからです。それでも会話がどんどん進むことが多くなったことは、私にとって激変ともいえる大きな変化でした。とはいっても、「普通」までの隔たりが大きいので、周りから見たら小さな変化にしか見えなかったかもしれません。まぁ、会話ができるって、本当に「普通」のことですからね。

その「普通」ができるようになり、私はちょっと勘違いします。私が変わっていると思われていたのは、会話の方程式を理解していなかったからだったんだと。会話の方程式を完全に理解してマスターしたら、私は「変」から「普通」になるのだろうと。「普通」になりたかったわけではないのですが、なれないと思っていたものになれるというのは、ちょっとどきどきするものです。「私、だんだん普通になっていくのかな。でも、uniqueじゃなくなるのも嫌だよね」なんて思ったりしましたが、無用な心配でした。会話の方程式を完全に理解するなんて私には無理でしたし、私が「変」なのはコミュニケーションだけだったわけではないので。

異常な記憶力。私のいくつかある大きな特性の一つです。

高校は超進学校だったたこともあり、成績上位者の表にはたまに載っていたようですが、毎回は載らなくなっていました。そのため、自分の成績は普通だから、「変ではなくなった!」と思うようになり、勉強に対して自分に疑問を持たなくなっていきました。勉強には相変わらず興味が持てなく、授業も聞かない、ノートも取らない、高校は塾には行かなかったので、勉強は本当に定期試験の1日前だけ。それであの成績を維持していたのはおかしいんですけどね。天才ではないですが、異常な記憶力だったと今も思います。集中して一度見たらだいたい覚えていて、結構ずっと記憶が残ります。

高校時代は、今までになく会話も成立するようになり、勉強も普通と感じていたので、自分が「普通なのかもしれない」とさえ感じていました。友達は私よりも目立つ個性を持っている人も多く、周りから沢山の刺激を受け、本当に楽しい日々でした。

しかし、楽しい時間が終わりをつげ、社会(外の世界)に自分独りで踏み出す時期が近づいていることを初めて気づいた時期でもありました。

外の世界は私には未知の世界でしたし、恐怖でもありました。超進学校だったので大学進学は当たり前のことではあったのですが、私が大学進学を決めたのは、ただの「逃げ」でした。勉強に興味がない私は、大学にも興味がありませんでした。それなのに大学へ行こうと思ったのは、社会に正面からぶつかるのがまだ怖かったからなのだと思います。

大学に行くとは決めたものの、大学へ興味が持てなかった私は、行きたい大学も行きたい学部もあやふやなままでした。大学とは何をするところなのかも理解していませんでしたし、理解しようともしていませんでした。

それでも受験する大学と学部を決めなくてはならない時期になり、自分は何に興味があるのか、何をしたいのかを少し悩みました。自分が一番興味があるもの。それは「空想の世界」でした。私の空想の世界の設定はアメリカだったので、アメリカに行って設定を完璧にすべきという思いが強くなりました。アメリカの大学へ行くほど行動力も金銭的余裕もなかったので、アメリカの大学に1年間くらい交換留学で行くことを思いつき、たまたまいいプログラムがある大学を知って、そこへ進学しようと思うようになりました。今思い返すと、なんて適当に大学を選んだのかと眩暈がします。

高校時代を振り返ってみて、思うことがあります。私は自分の興味があるものしか興味を持つことができませんでした。これも私の特性の一つです。「コミュニケーション」も「勉強」も興味が持てなかったので、適当に過ごしていました。でも、ひょんなことから「コミュニケーション」の楽しさに気付き、会話をしようとするようになりました。大学も卒業するまで興味が持てずにいましたが、卒業してから東大の本郷キャンパスへ行く機会があり、大学に初めて興味を持ちました。なんというか、本郷キャンパスに入ったとたん衝撃が走り、「大学」が私の中に入ってきたのです。初めて大学とは何なのかを理解したのだと思います。

私の特徴なのだと思うのですが、興味のないことには理解する気さえ全くおきないのですが、いったん興味を持つと真っ直ぐにそれだけにつきすすみます。「コミュニケーション」は中々真っ直ぐなだけでは乗り越えられないものがあります。でも、東大の本郷キャンパスに中学くらいに行っていたなら、「ここに行きたい」と思って勉強していたと思うのです。そしたら、人生変わっていたかもとたまに思ったりします。相手の気持ちを推し量れない私は、何人かに「勉強にもう少し興味を持てていたら、東大に行けたと思うんだよね」と言ったことがありました。もちろん、相手は「何言ってんだ」という顔をするので、何人かに言った後、ようやく言うべきことじゃないことを理解して、今は言わないようにしています。ここも私の大きな問題ですね。たらればは意味がないし、勉強に興味が持てて勉強していたとしても行けたかどうかは分からないのは理解しています。東大に行きたかったということではないんです。ただ、中学の頃に勉強に興味を持っていたら、東大に行けるだけの学力がついただろうという変な確信があるだけです。でも、アメリカへの交換留学に選ばれるほどではないだろうとは思っています。

私は今の自分が最高に幸せだと思っています。東大のような大学へ行って、アメリカへ交換留学へ行かなかったなら、今の旦那とも会えていなくて、息子ちゃんにも会えなかった。中学時代に東大の本郷キャンパスへ行かなくてよかったと思っています。適当に大学を選んでよかった、と。

私のように興味が極端な人がいたら、全く興味がないものにもちょっと違ったアプローチをすると興味を持つようになるかもしれません。新しい情報や刺激は、興味につながることが多い気がします。興味が増えれば、視界が広がります。それが外の世界へと続いていることもあります。でも興味を持つとまっしぐらなので、あまり沢山ではなく必要だと思えるものに興味が持てるとよいのだと思います。実際、何が幸せに繋がっていくのかは分りません。少なくとも私は「勉強」に興味を持っていたら、今の幸せには繋がっていなかったと思いますので。

理系男子夫とのおかしな闘争1

まだまだアスペルガーの成長について書きたいことはありますが、ブログタイトルにあるのにずっとほっといている理系男子夫について今回は書きます。

「理系男子夫」と敢えて書いているとおり、「超」理系の旦那です。ドラマ「ガリレオ」の湯川教授みたいというのが一番分りやすいかも。もちろんあんなにかっこ良くはありません。最近はおなかぷっくりで、「ザ、おじさん」です。でもあのドラマは、「やっぱりうちの理系男子夫は変なんだ」と再確認できたのでとても良かったです。アスペルガーの「変」とは違いますが、かなり「変」なんです、うちの旦那。

湯川教授の口癖の一つに、「実に非論理的だ」がありますよね。うちの理系男子夫は、私と話しをしている時によく「論理的じゃない」と言いながら冷めた目を私に向けます。最初はカッチーンと来ていましたが、福山の湯川教授を見てから、許せるようになりました。「ガリレオ」は家庭を救ってくれました。確かに私の話が論理的じゃない時もありますが、うちの旦那は一つの出来事で色々な意味があるということが理解できないことが多いのです。

うちの理系男子夫にとって、答えは一つしかないのです。真実は一つしかない。そのとおりなのですが、世の中、そうじゃない時もありますよね。正しいことがまかり通らないときがある。アスペルガーの私にだって分ることが、うちの旦那には分らないのです。

「世間ていうのは、1+1が2にならないことがある」と私はよく言うのですが、理系男子夫は哀れみの目で私をみて、「大丈夫か?小学校で習わなかったのか?1+1が2だって。1+1が2以外になることは絶対にない」と諭すように言います。「もう一度小学校に行った方がいいんじゃないか?」まで言います。このやりとりを漫才じゃないですが、何回もやっています。数学じゃなくて「世間」って言っているんですが。。。まぁ、本当に世間知らずな人なのでしょうがないのかもしれません。

例えば、法律の解釈が複数あったり、古い短歌や詩といった文学作品にいくつかの解釈が存在していたりしますが、そういうのが理解できないというか嫌いなんです。答えは一つだけ、なので。

それと、会話は「起承転結で話せ」とよく言われます。でも「転」て会話にいつも必要なのだろうか?とそのたび思います。「今日こういうことがあって、こうなったんだよ」という話のどこに「転」を作ればいいのか。理系男子夫にとって、報告形式の会話は会話ではないらしいです。私は会話が下手という自覚はすっごくありますが、夫婦の会話で「転」を求められても。。。私の日常生活はそんなに起伏に飛んだものではありませんから。理系男子夫は確かに会話が上手で、いつも「転」があります。彼の人生は確かに起伏に飛んでいるので、「転」も必ずあるのでしょう。

理系男子夫は関西人ではないのですが、西の人間なので、西の人はそういう文化なのかと最初は思っていました。でも、旦那の家族を見ていると文化の違いではないと思います。私は東の端の人間なので、たまに文化の違いを感じますが。

そんな理系男子夫と私の家庭は、多分、他の家庭では起こりえない驚きとおかしさに満ち溢れており、ある意味退屈はしない毎日を送っています。

アスペルガーでも成長する6 ABCの会話:CじゃなくてB!①

10のきっかけその6・・・高校の友達から、「話が飛ぶ」と指摘され、今までなぜ会話が成り立たなかったかに気付く。
これは、本当に大きな出来事でした。自分が「変わっている」と思われていた最大の原因を、修正することができる大きなきっかけとなったからです。

小学校の頃に出会った杏ちゃんや梅ちゃんは、小学校からずっと今でも仲良く、「親友」と呼べる大事な友達です。でも、高校で出会った友達は、別の角度から私を大きく変えてくれました。類は類を呼ぶと言いますか、高校の友達は、杏ちゃんと梅ちゃんとは方向が全く違いますが、とても個性的な人達ばかりです。私は他人に興味がないのに、なぜか友達には恵まれていました。本当に、「変わっている」ということで面白い友を呼ぶことがあるのだと思います。

杏ちゃんや梅ちゃんは、真直ぐしか見えてない私の思考に枝道を作ってくれましたが、高校の友達は、私の思考の斜め右や後ろにも、論理的な思考が存在していることに気付かせてくれたのです。そして、そんな新たな思考の存在を知って、私はわくわくし、社会に興味を持ち始めました。私一人だけでは不十分だということが分ったからです。

高校に入ってわりとすぐに、そんな尊敬もしている友達の一人から、「いつも話が飛ぶよね」と指摘されました。私は最初、意味が理解できませんでした。だって、私は話の流れにそって受け答えしていると思っていましたので。でも、とても尊敬している友達だったので、その子が適当なことを言っているわけではないことも分っていました。それで、その時初めて自分の会話の流れを分析するということをしました。そして気付いたのです。私は、Aという話題の話から、Bという思考の展開を自分の中で勝手にして、自分の中だけでCという話の流れになり、そのCを話していたということを。

ただその時は、そうか、その友達はBの話を知らないから話が飛ぶと誤解したんだ、と思い、正確には理解はしていませんでしたが。「知らない」ではなくて、Bの話なんて、自分の中で勝手に思考を展開させているのだから、相手は分るはずがないんですけどね。その頃はまだ、A=Bだから、AからCを連想するのは普通、と思っていたのです。私の思考が先走りすぎることに気付いたのはもう少し先ですが、とりあえず、A=Bだと気付かない人もいるようだから、まずはBの話をした方がいいんだ、と思いました。そこで、Bの話を意識的にするようになってから、相手と会話ができるようになったのです。私にとって、それはとても不思議な結果でした。正直に言うと、こんなに会話の展開が遅くて、なんで皆飽きないんだろうと思っていました。でも、それが「会話」なんですよね。

その後も色々と壁にぶつかったりしましたが、最近は無意識でもBの話ができるようになりました。でも、たまにB’の話をしていることもあります。自分ではBの話をしていると思っているんですけどね。つい先日、旦那から容赦ない指摘を受けた2つの会話がありました。

休日に少し家から離れている大きな公園に行ったのですが、とてもよく晴れていて、気温もちょうどよく、絶好のピクニック日和でした。
旦那が公園についてすぐに、「すごい青空だね。晴れてよかったね」と言いました。
私は、「また来てもいいかもね」と返答したのですが、微妙な空気が流れた後、旦那が「今来たばっかりだけど?」と冷ややかな目で言いました。

この時の私は、「公園=日差しが降り注ぐ=身体がつかれる=だから公園は嫌い。でも、今日は天気がちょうどよくて気持ちいい。こんな日だったら『また来てもいいかも』」と思考が展開していました。ここで、「(公園て日差しで身体がつかれるからあまり好きじゃないけど【←これは言わなくていいかもですが、言っちゃいます】)、今日は天気がちょうどよくて気持ちいいね。」とか言っていれば、話は繋がるんですよね。「公園」という単語から色々と思考が展開してしまいます。

その後、急に天候が変化し、雷と豪雨になりました。ただ、ちょうど撤収しようかと思っていたところだったので、慌てて車に乗り込み家に帰ったのですが、家に着く頃には雨も止んで快晴になっていました。旦那が、「すごい雷と雨だったけど、すぐに止んだね」と言ったので、私は、「雷雨だからね」と答えました。旦那はムッとした声で「いや、だから、俺も雷と雨だって言っているじゃん」と言われました。私は、「だから、雷雨だから仕方ないでしょ」と再度言ったのですが、「言っている意味が分らない」と言われてしまいました。私の中では、雷雨=夕立=通り雨=すぐ止む、という思考が展開しており、次に「だって夕立みたいなものだから仕方ないじゃん」と言ったら、「それなら分かる。最初からそう言って」と言われました。

会話って難しいです。まだまだ勉強の日々です。

アスペルガーでも成長する5 空想の世界が元凶?②

私の自分の世界は、空想の世界でした。人によって「自分の世界」はそれぞれ違うと思います。ただ、共通しているのではと思われるのは、その「自分の世界」というのが自分の安全地帯であるということ。そこの留まることで、自分を守っていたのかもしれません。外の世界は、コミュニケーション能力が乏しいと針のむしろです。厳しい世界である上に、「普通」の思考ができない私には理解不能な事も多く、距離を保っている方が安心できました。

私は多分、「思考」することが好きだったのだと思います。その思考の一つの形が「空想の世界」だったのでしょう。様々な思考を展開させることのできる空想の世界は、本当に楽しく、自分が最も自由でいられる場所でした。思考を展開させることばかりやっていたので、「普通」の思考ができなくなっていたのと、「普通の思考」がどういうものなのかも分らなくなってしまっていました。思考が先走っているという状態です。それが、私の「変わっている」大きな部分となっていたのだと思います。

また、他人に興味を持てずにいました。今改めて考えてみると、他人と話をしていてもつまらなかったからなのだと思います。自分の興味が限定されているので、興味の無い話は全く興味が湧かず、話す気持ちも起きない。なので勝手に話を変えたり、さらに、私の話す内容は先走りすぎて頓珍漢に思えるものであり、相手は理解できず、会話のキャッチボールが成立しない。会話が展開していかないので、他人と話していても面白くない。自分の世界で自分の思考を展開させていく方が面白い。それでさらに他人に興味が無くなる。そうやって、自分の中へ自分の中へと入っていってしまったのだと思います。

元々私の興味は限定されていて、その中に「人間関係」は入っていませんでした。重要と全く思ってなかったんです。また、人間関係というのは本当に難しく、私には理解できないものでした。そのため遮断するという方法で、自分を安心させたのだと思います。自分が安心しないと、自分の中で混乱が起こるためです。私の周りには今はだいぶ狭くはなりましたが、透明な壁があり、その中にはたとえ母親でも入ってくることはありませんでした。そこが「自分の世界」です。「空想の世界」もその中に入っています。

「空想の世界」は、私に安心と思考を展開させる場を提供してくれましたが、その世界があまりに大きすぎて、他人どころか家族さえ私の中には入っていませんでした。家族は好きでした。でも興味が無かったんですね、多分。それは家族も感じていたのでしょう。妹が社会人になったばかりの頃、妹が私にこういいました。「会社ではお姉ちゃんはいないことになっているから、よろしく」と。私は、「まぁ別にいいけど、何で?」と思いました。妹は可愛いのですが、私は地味でダサい感じだったので、自慢できる姉ではないからかな、と今にしておもえば頓珍漢なことを考えていました。そういうことではないんですよね。ごめん、妹よ。確かに良い姉ではなかったと胸を張って言えます。害を与えたことは全くありませんが、妹の存在を忘れることはよくありました。それがどれほど酷いことなのか、今ならよく分ります。

私はまだたまに自分以外の存在を忘れることがあります。他の人がいても、自分の世界で一人になることがあるからです。だから、旦那にも家族と暮らしているのに一人暮らしをしているようだと言わるのです。

でも、そんな私の中にも唯一入ってこれる人がいます。息子ちゃんです。なぜなのか分らないのですが、息子ちゃんが私の中にずかずか入ってきても、私の安心は揺らがないのです。自分の母親さえも入れなかったのに。息子ちゃんの存在は、私を大きく変えました。

それと、旦那は私の自分の世界の境界線にいる感じです。こんな風に少しずつ自分の世界の壁が薄くなるとよいなと思っています。

本当に少しずつですが、成長しているのだと思います。

アスペルガーでも成長する5 空想の世界が元凶?①

10のきっかけその5・・・空想の世界を持っている人はあまりいないことに気付く。
脱線したり、忙しかったりして時間がかかりましたが、ようやくここまで来ました。実は一番書きたかったのは、次の「きっかけその6」なのです。でも、「きっかけその6」を話をするためには、この空想の世界の話をする必要があります。

アスペルガーがみんな、空想の世界を持っている訳ではないと思います。また、空想の世界を持っている人のすべてが、アスペルガー発達障害がある訳でもないと思います。しかし、私が極端に走った一番の原因は、この空想の世界だったと思っています。一番の原因ではあるとは思いますが、私は今でもこの空想の世界が大好きで、この世界が存在していてよかったとは思っています。この世界が無かったら私はどうなっていたか、全く想像ができません。

私の中に空想の世界ができたのはいつだったのか覚えていませんが、物心がついた頃には存在していました。そしてその世界が大きく変わったのは、小学校1年の頃です。その当時大好きだったマンガの設定が自分の空想の世界で広がっていき、自分だけの世界が出来ました。私の空想の世界では、「私」は存在しません。結構色々と細かい設定があり、主要な人物が何人かいます。その主要な人物の関係者がまた存在し、スピンオフみたいな話も展開したりしますが、基本はその主要な人物達が様々な問題を乗り越えて成長していく世界です。私はこの空想の世界で、現実の世界から離れて、全く別の人間になります。ハッピーエンドの話ばかりではないのですが、私はこの空想の世界が展開していくことで充実を感じていました。

実はこの空想の世界は現在進行中です。最近は本当にごくたまにとなりましたが、歩いている時、私はこの空想の世界の住人となります。空想の世界も時は進んでいくので、今では小学校1年の主要人物の4世代後の話になっています。ライフワークの小説を書いているような気分で、今でもこの世界を育てていきたいと思っています。沢山の人たちがこの世界では生きているのです。

私は中学の頃まで、私の空想の世界はかなり大きいとは思っていましたが、みんな空想の世界を持っているものと思っていました。しかし、ある友達に自分の空想の世界を話した時、その友達には私のような空想の世界が無いことを知り、愕然としました。実はそれまで、自分の空想の世界を他の人に話したことがありませんでした。杏ちゃんたちにさえ。隠そうとしていたわけではなく、自分の空想の世界はとても大切なものだったので、大事にしていたという感じです。私は「変わっている」と言われてはいましたし、記憶力が抜群にいいことで「何かおかしい」と感じてはいましたが、具体的に何が他の人と違っているのかがあまり理解できずにいました。でもこれは、明確な「違い」を見せ付けられた出来事でした。

小さい頃は多くの人たちは空想の世界を持っていたと思います。中学生の頃まで持っている人は少ないかもしれませんが。空想の世界を持つことは悪いことではないと思います。ただ、私の場合、空想の世界に居ついていました。現実の世界と空想の世界が分らなくなるという訳ではないのですが、現実の世界と空想の世界の両方が同じように存在していて、その2つの世界を行き来しているという感じでした。小学生の頃は1日の1/3くらい、中学生の頃でさえ1/5くらいは空想の世界にいました。

空想の世界を展開していたのなら、他の人の気持ちが想像できるだろうと思われるかもしれません。でも、空想の世界はあくまでも「空想」の世界なのです。

ちょっと前に、ある親戚から「昔から本をよく読んでいたから、こんなに立派になったのね」みたいなことを言われました。「こんなに立派」はリップサービスだとして、あまり人と遊ばず本ばかりしていたということを言いたかったのでしょう。でも、「昔から本を読んでいた」記憶が私にはあまりありません。だって、教科書ですら読んでいませんでしたから。母に「私って本読んでたっけ?」と聞いたら、「マンガ本だったけどね」と言われました。確かにマンガ本は小学校に入る前から読んでいた記憶があります。マンガをばかにしてはいけません。私のほとんどの知識はマンガから得たと言っても過言ではないくらい、色々な情報を与えてくれます。漢字や語彙も覚えられますし、自分の知らない知識も身につきます。それに、私の大好きなワンピースやスラムダンクは涙無しでは読めないくらいよい話で、人生の様々な教訓を教えてくれます。

つまり、現実では人とあまりコミュニケーションを取っていなかった私の人間関係の知識は、マンガ本やテレビの世界からのものでした。それはやはり偏っていて、現実と一致しないことも多いのです。さらに、空想の世界で色々な人たちの考えを想像していた私は、現実の人も勝手にこう思うだろうと想像して思い込んでしまいます。それで失敗したことが何度もあり、私の一番の問題点だと思っています。想像を勝手に先走らせない、今は肝に銘じているのですが、それが中々難しいのです。いつも一を聞くと十ではなく百くらいまで考えが走ってしまうのです。

また、空想の世界で充実を感じすぎていて、現実の世界が空虚に思え、現実の世界に興味を持てなかったからなのでしょう。私は、自分の世界(空想の世界)にだけ留まっていました。

つい先日、テレビで「長子、中間子、末っ子、1人っ子の違い」をやっていましたが、私は長子です。旦那は年下ですが、末っ子ということもあり、テレビで言っていたように「この家族を守ろう」という長子としての意識が私は強いところがあります。でも、私の行動は、「一人っ子」の行動にほぼ当てはまっていました。「一人っ子」の行動が悪いということではないのです。長子でありながら、「一人っ子」の行動ばかりしてしまう、ということが私の問題なのだと思います。実は旦那にもよく、一緒に住んでいるのに一人暮らしをしていると思っているだろうと言われます。自分の世界から中々抜け出せない、それはこの空想の世界が大きすぎたせいかもしれないと思っています。

少し脱線4 私とよく似た人に出会って

この記事を書いてからもちょっと気になっていて、読み直してみて自分の悪い点が出たと思うので書き直します。

私の悪い点とは、思考の先走りと思い込みと人の気持ちを正確に理解できないところ、です。

私はアスペルガーだと自覚していますが、私と似ていると言われて嫌な気持ちになる人もいると思うので、記事の内容を変えさせてください。私に似ているねと言われて喜ぶ人がいるかと考えたら・・・いないだろうと思いましたので。自分から私に似ていると言ってくれるならまだしも、私と似ていると私が勝手に思うのは、その人にはただの迷惑かもしれません。反省です。また、私は思い込みが強いので、本当は全然似ていないのに、勝手に似ていると思ったのかもしれません。こういったところが私の一番悪いところだと自覚していたのに、やってしまったと後悔です。

似ているかどうかは別として、その人と出会えたのが嬉しかったのです。何というかあったかい気持ちになりました。仲良くなりたい気持ちで一杯でしたが、それは余計なことだと理解しています。その人が、私と仲良くなりたいと思ってくれるのを待とうと思います。

でも「変わっている」といのは悪い意味ではないと思っています。それは「Unique」ということですから。

私は、このブログでも最初に書いていますが、アスペルガーであることは「Unique」であり、自信を持ってよいことだと思っています。一芸に秀でていることが多いですし。その一芸がうまく社会の中で回っていくと、社会でも成功というか自分が満足できる状況を作れたりします。コミュニケーションに問題があることがありますが、それも自分の事をよく理解していると改善していくことができます。

私は、アスペルガーであることで、問題に沢山出会いましたが、だからこそ得た幸せが多くあります。自分がアスペルガーでなければ、この幸せな状況は無かっただろうし、アスペルガーでよかったと今は思っています。なので、普通の人はアスペルガーかもと思われるなんて嫌だと思うだろうということに、書いている時は思考が及びませんでした。そういう普通の感覚が私には欠落していて、それが大きな問題なんですが、気付くことができたのは私が成長したからなんだと思います。日々成長です。