アスペ妻と理系男子夫とのおかしな夫婦闘争

"Strange"ではなく"Unique" ~ アスペルガーから見たアスペルガー

アスペルガーでも成長する6 ABCの会話:CじゃなくてB!③

アスペルガーは、得意なことと興味があることが一致すると相乗効果が生まれる事があるように思います。研究者にアスペルガーが多いのも、得意なことと興味があることが一致した良い例なんだと思います。興味を持つと真っ直ぐにそれだけにつきすすんでいく、研究者に必要な資質ですから。

私は記憶力が良いということで、仕事がかなり良い方向へ進みました。ある一つの自分が興味がある分野を徹底的に覚え、職場でもトップクラスの知識を持ちました。その後、その分野と間接的に関係のある自分も少し興味がある分野の勉強をしました。この二つの知識を持っている人ってなかなかいなかったこともあり、重宝されています。

でも、自分が不得意な事にも興味を持つ事は結構重要なんですよね。私は運動音痴です。にもかかわらず、小学校の頃にはまっていたバスケの漫画の影響で、ミニバスケをしていました。ただただ、バスケが好きだったので、いじめられても下手でも、小学校の間ずっと続けていました。よく続けられていたなと今では思います。その頃から「変」と周りに認識されていたので、パスの練習の時とかに意味も無くよく外されていました。私が触ったボールを「汚い」と皆に言われたり。それに、どんなにがんばって練習しても、先天的に運動音痴だと限界があります。いつも補欠でした。でも、たまに試合に出れる事もあり、それだけで本当に楽しかったのです。その時に運動をがんばったおかげか、運動音痴でしたが、高校まで体育はそれなりになんとかこなせる程度の筋力とかがつきました。小学校の頃にミスバスケをしていなかったら、体育は散々な結果になっていたと思います。旦那からも「お前が運動をやっていたとは到底思えない」とよく言われますが、私自身も本当にそう思います。


私はよく「幸せ」「幸せ」と書いてますが、少しこの事について説明しておこうと思います。実際、こういう風に思えるまで本当に色々ありました。アスペルガーだから直面する山や谷も沢山ありましたが、大病を患ったり、自分が遭遇するとは思いもしなかった悲しい出来事を色々経験し、今がどれほど幸せなのかを身にしみて感じるようになったのです。「最高の幸せ」と前回書きましたが、他の人にとったらささいな幸せだと思います。でも、そのささいな幸せというのが、かけがえのないものなんだと実感しています。

朝に目が覚めないのではないかという恐怖を感じた日々もありました。今は、普通に目覚めてご飯を食べれて仕事に行けますが、それは本当はすごいことなんだと思っています。「普通の生活」ってすごいことなんです。私も「普通の生活」のことができなくなって、その事を初めて知りました。

ある日、寝かしつける時に、息子ちゃんが学校で褒められて上機嫌だったようで、「こんないい子の息子がいて嬉しい?」と聞いてきました。少し腹がたちました。『赤ちゃんが産まれるってことは奇跡なんだよ。息子ちゃんが産まれてきたのも奇跡。そんな奇跡に巡り合えて、お母さんは本当に嬉しい』と私はいつも伝えていました。「お母さんは、今ここに息子ちゃんがいてくれることだけで本当に嬉しい」とだけ言いました。息子ちゃんはちょっとびっくりしたような顔をして、それから布団に顔をうずめました。少し嬉しそう?な感じでした。人に迷惑をかけない子に育てる。それも本当に重要なことだと思っています。でも、赤ちゃんが産まれることがまず本当に奇跡なんですよね。子供が育って、傍で笑ってくれているなんて、さらにすごい奇跡です。息子ちゃんが産まれる前、色々とあり、赤ちゃんの準備がほんとできずにいました。最低限のベビー服とおむつ、布団だけを用意して、私の出産の後の入院中に、旦那にあれこれ指示して、他の必要な物を買ってもらいました。

色々と本当にあり、不幸だけしか見えなくなっていた時期もありました。でも、辛い時期に小さな幸せを感じると、ほんわかと気持ちが和らぎました。本当にささいなことです。「ご飯が美味しく食べれた」とか「今日の朝目覚めたとき、いつもより体が軽かった」とかです。そんなこともできなかった日々が続くと、その小さな幸せがかけがえのないものだと知りました。それから、「小さな幸せ探し」を始めました。「今日は大好きなご飯が食べれた」「面白いテレビ番組が見れた」「昨日は頭痛が酷くてできなかったことが今日はできた」とか、よく探すと小さな幸せは一杯あって、小さな幸せに囲まれている私は本当は幸せなんだと知りました。そして次第に、小さな幸せがどんどん増えていきました。

でも明日何が起こるかなんて誰も分かりません。幸せがずっと続くことは「奇跡」であり、あたり前のことではないのですから。だから、今のこの瞬間の幸せをしっかりと感じて毎日過ごさなくてはと思っています。将来の事を心配していも時間がもったいないだけです。正直自信はありませんが、どんな時でも「小さな幸せ」を見つけて、感謝して生きたいと思っています。