アスペ妻と理系男子夫とのおかしな夫婦闘争

"Strange"ではなく"Unique" ~ アスペルガーから見たアスペルガー

アスペルガーでも成長する5 空想の世界が元凶?①

10のきっかけその5・・・空想の世界を持っている人はあまりいないことに気付く。
脱線したり、忙しかったりして時間がかかりましたが、ようやくここまで来ました。実は一番書きたかったのは、次の「きっかけその6」なのです。でも、「きっかけその6」を話をするためには、この空想の世界の話をする必要があります。

アスペルガーがみんな、空想の世界を持っている訳ではないと思います。また、空想の世界を持っている人のすべてが、アスペルガー発達障害がある訳でもないと思います。しかし、私が極端に走った一番の原因は、この空想の世界だったと思っています。一番の原因ではあるとは思いますが、私は今でもこの空想の世界が大好きで、この世界が存在していてよかったとは思っています。この世界が無かったら私はどうなっていたか、全く想像ができません。

私の中に空想の世界ができたのはいつだったのか覚えていませんが、物心がついた頃には存在していました。そしてその世界が大きく変わったのは、小学校1年の頃です。その当時大好きだったマンガの設定が自分の空想の世界で広がっていき、自分だけの世界が出来ました。私の空想の世界では、「私」は存在しません。結構色々と細かい設定があり、主要な人物が何人かいます。その主要な人物の関係者がまた存在し、スピンオフみたいな話も展開したりしますが、基本はその主要な人物達が様々な問題を乗り越えて成長していく世界です。私はこの空想の世界で、現実の世界から離れて、全く別の人間になります。ハッピーエンドの話ばかりではないのですが、私はこの空想の世界が展開していくことで充実を感じていました。

実はこの空想の世界は現在進行中です。最近は本当にごくたまにとなりましたが、歩いている時、私はこの空想の世界の住人となります。空想の世界も時は進んでいくので、今では小学校1年の主要人物の4世代後の話になっています。ライフワークの小説を書いているような気分で、今でもこの世界を育てていきたいと思っています。沢山の人たちがこの世界では生きているのです。

私は中学の頃まで、私の空想の世界はかなり大きいとは思っていましたが、みんな空想の世界を持っているものと思っていました。しかし、ある友達に自分の空想の世界を話した時、その友達には私のような空想の世界が無いことを知り、愕然としました。実はそれまで、自分の空想の世界を他の人に話したことがありませんでした。杏ちゃんたちにさえ。隠そうとしていたわけではなく、自分の空想の世界はとても大切なものだったので、大事にしていたという感じです。私は「変わっている」と言われてはいましたし、記憶力が抜群にいいことで「何かおかしい」と感じてはいましたが、具体的に何が他の人と違っているのかがあまり理解できずにいました。でもこれは、明確な「違い」を見せ付けられた出来事でした。

小さい頃は多くの人たちは空想の世界を持っていたと思います。中学生の頃まで持っている人は少ないかもしれませんが。空想の世界を持つことは悪いことではないと思います。ただ、私の場合、空想の世界に居ついていました。現実の世界と空想の世界が分らなくなるという訳ではないのですが、現実の世界と空想の世界の両方が同じように存在していて、その2つの世界を行き来しているという感じでした。小学生の頃は1日の1/3くらい、中学生の頃でさえ1/5くらいは空想の世界にいました。

空想の世界を展開していたのなら、他の人の気持ちが想像できるだろうと思われるかもしれません。でも、空想の世界はあくまでも「空想」の世界なのです。

ちょっと前に、ある親戚から「昔から本をよく読んでいたから、こんなに立派になったのね」みたいなことを言われました。「こんなに立派」はリップサービスだとして、あまり人と遊ばず本ばかりしていたということを言いたかったのでしょう。でも、「昔から本を読んでいた」記憶が私にはあまりありません。だって、教科書ですら読んでいませんでしたから。母に「私って本読んでたっけ?」と聞いたら、「マンガ本だったけどね」と言われました。確かにマンガ本は小学校に入る前から読んでいた記憶があります。マンガをばかにしてはいけません。私のほとんどの知識はマンガから得たと言っても過言ではないくらい、色々な情報を与えてくれます。漢字や語彙も覚えられますし、自分の知らない知識も身につきます。それに、私の大好きなワンピースやスラムダンクは涙無しでは読めないくらいよい話で、人生の様々な教訓を教えてくれます。

つまり、現実では人とあまりコミュニケーションを取っていなかった私の人間関係の知識は、マンガ本やテレビの世界からのものでした。それはやはり偏っていて、現実と一致しないことも多いのです。さらに、空想の世界で色々な人たちの考えを想像していた私は、現実の人も勝手にこう思うだろうと想像して思い込んでしまいます。それで失敗したことが何度もあり、私の一番の問題点だと思っています。想像を勝手に先走らせない、今は肝に銘じているのですが、それが中々難しいのです。いつも一を聞くと十ではなく百くらいまで考えが走ってしまうのです。

また、空想の世界で充実を感じすぎていて、現実の世界が空虚に思え、現実の世界に興味を持てなかったからなのでしょう。私は、自分の世界(空想の世界)にだけ留まっていました。

つい先日、テレビで「長子、中間子、末っ子、1人っ子の違い」をやっていましたが、私は長子です。旦那は年下ですが、末っ子ということもあり、テレビで言っていたように「この家族を守ろう」という長子としての意識が私は強いところがあります。でも、私の行動は、「一人っ子」の行動にほぼ当てはまっていました。「一人っ子」の行動が悪いということではないのです。長子でありながら、「一人っ子」の行動ばかりしてしまう、ということが私の問題なのだと思います。実は旦那にもよく、一緒に住んでいるのに一人暮らしをしていると思っているだろうと言われます。自分の世界から中々抜け出せない、それはこの空想の世界が大きすぎたせいかもしれないと思っています。

少し脱線4 私とよく似た人に出会って

この記事を書いてからもちょっと気になっていて、読み直してみて自分の悪い点が出たと思うので書き直します。

私の悪い点とは、思考の先走りと思い込みと人の気持ちを正確に理解できないところ、です。

私はアスペルガーだと自覚していますが、私と似ていると言われて嫌な気持ちになる人もいると思うので、記事の内容を変えさせてください。私に似ているねと言われて喜ぶ人がいるかと考えたら・・・いないだろうと思いましたので。自分から私に似ていると言ってくれるならまだしも、私と似ていると私が勝手に思うのは、その人にはただの迷惑かもしれません。反省です。また、私は思い込みが強いので、本当は全然似ていないのに、勝手に似ていると思ったのかもしれません。こういったところが私の一番悪いところだと自覚していたのに、やってしまったと後悔です。

似ているかどうかは別として、その人と出会えたのが嬉しかったのです。何というかあったかい気持ちになりました。仲良くなりたい気持ちで一杯でしたが、それは余計なことだと理解しています。その人が、私と仲良くなりたいと思ってくれるのを待とうと思います。

でも「変わっている」といのは悪い意味ではないと思っています。それは「Unique」ということですから。

私は、このブログでも最初に書いていますが、アスペルガーであることは「Unique」であり、自信を持ってよいことだと思っています。一芸に秀でていることが多いですし。その一芸がうまく社会の中で回っていくと、社会でも成功というか自分が満足できる状況を作れたりします。コミュニケーションに問題があることがありますが、それも自分の事をよく理解していると改善していくことができます。

私は、アスペルガーであることで、問題に沢山出会いましたが、だからこそ得た幸せが多くあります。自分がアスペルガーでなければ、この幸せな状況は無かっただろうし、アスペルガーでよかったと今は思っています。なので、普通の人はアスペルガーかもと思われるなんて嫌だと思うだろうということに、書いている時は思考が及びませんでした。そういう普通の感覚が私には欠落していて、それが大きな問題なんですが、気付くことができたのは私が成長したからなんだと思います。日々成長です。

アスペルガーでも成長する4 テストで学年一番?②

10のきっかけその4・・・テストで学年一番を取り、自分が「変」ではないかと気付く。本題に戻ります。
私が中学校だった頃、「頭のいい子」がよく押しつけられた「アスペルガー」にとっては難題なこと。そう、「学級委員」です。

「頭のいい子」は何でもできると思われていたんですかね。しかし、「アスペルガー」が学級委員って、どんだけ辛いことか。

これも「アスペルガー」の特徴だと後で知りましたが、私は人の名前を覚えることが超苦手です。記憶力はすごく良いのですが、名前だけはなぜか頭に残りません。名前は一度聞いただけでは覚えられないし、1年間同じクラスの子でも覚えてない子が何人もというか十人以上いました。名前が覚えられない私はおかしいと気付いたのは、中学卒業してから。母の方がクラスの人の名前を知っていたので、驚愕でした。

自分から人に話しかけるのは苦手というか、どう話しかけたら良いかも分かりませんでしたし、クラスの意思の調整なんて、もっと分かりません。なんでこんなに自分の「超」苦手なことばかりの役割を押し付けられるのか、本当に嫌で仕方ありませんでした。学級委員は学期ごとだったので、とりあえずその学期が早く終わることだけを祈っていました。

1年も2年も学級委員を押し付けられ、もう我慢の限界が来ていた私は、3年で選らばれた時、反乱を起こします。選挙が終わった後、席を立ち上がり、「やりません」ときっぱりと断りました。当時、「頭のいい子」が押し付けられていたとはいえ、学級委員はそれなりに名誉職だったようで、私の学校で学級委員を断る人なんていませんでした。ある意味、前代未聞の状況だったようです。

中学校の記憶は、部活の記憶くらいしかないのですが、その場面だけはしっかりと覚えています。私は、担任の男性教師に廊下に連れて行かれました。担任の先生は、廊下の手摺をつかんで廊下の窓の外を見ながら、「まぁ、そんなこと言わず」と説得なのか何なのかわからい言葉を私にかけました。私は、どれだけ自分が学級委員に向いてないかを一生懸命説明した記憶があります。ただ、人の名前が覚えられないとか人の気持ちが分からないとかは、当時は理解していなかったので、「クラスをまとめるのは私には無理」といったようなありきたりのことを言ってました。担任の先生は私の話を聞き終えると、かなり長い時間黙って外を見続けていました。そして、「まぁ、そういうことで」と意味不明な言葉を私にかけ、教室に戻っていきました。・・・つまるところ、私の意見は問答無用で却下でした。良い先生だったとは思うのですが、体育会系的なところがあり、生徒に寄り添うと言うより、気力でガンバレというタイプではありました。いや、そういう問題じゃないんだよ、と今の私には反論できますが、当時の私にはそれ以上の抵抗は無理でした。

中学校の同窓会って、中学3年の学級委員が中心ですすめるもののようで、私が動かないため、長年同窓会がありませんでした。だからあの時私を学級委員にしなければよかったのに、と開き直っています。卒業して十数年以上たってから、自分がとりまとめをしてもよいかとの確認の連絡が誰かからあった気がします。実はその時初めて、「あ、私がとりまとめてないから同窓会が無かったんだ・・・」と理解しました。数年前から、誰かがまとめ役をかって出てくれたのか、定期的に同窓会があるようで、たまに連絡が来ます。ありがたいことです。今は、実家から遠い場所に住んでいるので、同窓会に出席したことはないですが、1回くらい行ってみようかなと最近思うようになりました。・・・ただ、中学3年のクラスのメンバーの名前を一人も覚えておらず、迷ってはいます。聞けば思い出す人も何人かはいると思います。顔を覚えている人も多分いると思います・・・多分。

私は、記憶力は抜群にいいです。今でも、仕事の事とかは結構昔の事でもほぼ覚えていて、周りに驚かれます。でも、今でもですが、傘は無くすのが当たり前、です。一度手から離れたら、記憶から全く無くなります。なので、なるべく手から離さないようにしているのですが、コンビニでお金を払ったり、書き物をしたりするために、ちょっと傘を置いてしまうともう終わりです。小学・中学のときは、自転車の鍵もしょっちゅうなくしていました。何十回失くしたか覚えていません。必ず置いた場所を忘れまうのです。よく忘れるから、絶対覚えていようと思って置くのに、忘れるのです。これは多分、私の心の奥底で、「重要ではない」と思っているからなのだと思います。

私が中学の時、自分が「アスペルガー」だと分かっていたら、何か変わっただろうか、と考えてみました。多分あまり変わらかっただろうと思います。なぜなら、当時の私が自分が「アスペルガー」だと分かったとしても、「自覚」はできなかっただろうと思うからです。だって、自分が「変わっている」ということさえあまり理解できていませんでしたから。そして、「変わっている」ことが「生きにくくなる」ということなど、理解できるはずがなかったと思います。色々な人と出会い、色々な失敗をして、色々な経験をしたからこそ、自分は成長する必要がある、と理解できたのです。

アスペルガー」の成長は、本当にゆっくりだと思います。周りの人達は、根気よく見守って欲しいなと、わがままだとは思いますが切に思います。でも、遅くても一歩一歩間違いなく進んでいるんです。

最近は、小さい頃に療育をすることで、「アスペルガー」の特異性が目立たなくなるようですね。私も自分の子が「アスペルガー」ではないかと思ったら、療育をすると思います。生きづらいとか周りから距離をおかれるとか、私も色々ありましたが、そんな思いをさせない方がいいに決まっています。ただ、ちょっと心配なことがあります。私は今、意識的に「普通」と思われる思考や行動をして、それが段々意識的ではなく自然にできるようにはなってきました。でもやっぱり何か無理しているんです。私は、自分が何を無理しているかは理解しているのでよいのですが、療育で特異性が目立たなくなった子達は、自分の中で葛藤しているのではないかと少し心配です。そうでないならいいのですが。特異性が目立たなくなった子達でも、自分が「アスペルガー」だと自覚するのは大事なんだと思います。

少し脱線3 アスペルガーの私と分析官アビー

閑話休題しようと思っていたのですが、内容を忘れそうなのでもう少し脱線します。

私は、アメリカの海外ドラマが大好きで結構見ています。その中でも特に好きなのが「NCIS~ネイビー犯罪捜査班」。このドラマに出てくる登場人物は、全員が「unique」です。「unique」同士が絶妙に織りなす会話が秀逸で、私は大好きです。

私のこのドラマの中で一番大好きな登場人物が、「アビゲイル・シュート」というNCIS科学捜査分析官。通称「アビー」。彼女は、非常に優秀な分析官で、CSIだと数人が担当しているような分析を一人でやっています。指紋分析、血液分析、弾丸分析などなどあるゆる分析ができ、コンピューターを使った分析も超得意。とても現実にいるとは思えませんが、まさに「天才」です。一人で全部やりたいようで、助手がいません。美人さんで、表情はとってもキュート。歩き方も変わっていて、考え方は独特だけどユーモアもあり、愛すべきキャラクターです。

旦那もこのドラマが結構好きで、このドラマの特集があったので、二人で見ていました。私が合間にお風呂に入っあがってきたら、旦那が、「アビーが、歯ブラシを共有するよりパソコンのアカウントを共有する方が絶対嫌、って言ってたけど、歯ブラシの方が絶対に嫌に決まっているよね」と納得できないようで、私に同意を求めました。その場面を私は見逃してしまったのですが、私は一瞬寒気がしました。「アビー」は・・・私と似ている?と思ったからです。

アビーは、こだわりが強くて、集中力が尋常じゃなくて。分析という分野で傑出した才能があって、人が思いつかないような視点から証拠品を見ることができて。社交的に見えるけど、実は心を開く人は限られていて。ベットは外部から遮断したいのか棺おけ。彼女を形容するのに、「変わっている」という言葉は必ずついてきます。

もちろん、私はアビーほど極端でもないし、「天才」でもありません。彼女のようなユーモアもないし、美人でもないです。アビーは、本当に愛すべきキャラクターで、大くのファンがいます。美人でキュートということ以上に、アビーには「何か」があるのです。その「何か」に多くの人が惹きつけられます。それは私の持っていない「何か」です。

でも、彼女の「変わっている」要素のいくつもが私のそれとよく似ていて、アビーが歯ブラシの共有よりパソコンのアカウントの共有の方が嫌、という気持ちはとっってもわかるのです。そして色々彼女のキャラクター設定を考えると、アビーはアスペ的要素てんこ盛りのキャラクターなのではと気づきました。

なんで嫌なのか。パソコンの中身を見られたくないという単純な理由ではないと私は思います。他人がいじったところで、アビーの大事なデータを見つけることは不可能でしょうし、アビー自身もそれは心配さえしていないのではと思います。

では、なんで嫌なのか。パソコンは、彼女の一部になっているからなのでしょう。そのパソコンのアカウントを共有することは、その共有した相手が自分の中に入ってくるということ。歯ブラシの共有ももちろん嫌でしょうが、それ以上に自分を侵略された感じが強いのだと思います。

私は、パソコンがそこまで得意ではないので、「私の物」と認識しているパソコンはありませんが、電子機器のタブレットで同様の拒否反応をしたことがあります。タブレットには、私の大好きな画像を保管していて、とっても大事にしています。「私の物」です。でも誤解が無いように説明しておきますが、保管している画像は他人に見られても全然構わない画像です。他の人と一緒に見たりもしています。その画像を見せたくないというわけではないんですよ。しかも、画像を見るためだけに買ったタブレットなので、他のデータは全く入っていません。

旦那がゲーム用にタブレットを購入することになったのですが、環境動作を見たいから、私のタブレットを少し貸して欲しいと言われました。私と同じシリーズのタブレットを検討していて、でも、環境動作が悪かったら無駄になるから、試したいということでした。買ってしまって環境動作が悪かったら、別のタブレットを購入することになるので、かなりの無駄になりますし、一家の主婦としてはかなり悩みました。ほんのちょっとの変更で、ほんのちょっとの期間だけだと言われました。でも、でも、私のタブレットに私と関係のないソフトを入れること自体がどうしても受け入れられませんでした。色々考えましたが「やっぱり無理~!」と拒否。旦那は理解しがたい感じで「1週間程度で消すし」と言いましたが、「い、一週間?1、2時間程度ならなんとか我慢するけど、1週間なんて絶対に無理!」と断固拒否し、この話は無くなりました。今考えても、私にはぞっとする話なのですが、普通に考えてそこまで受け入れられないことではないような気もします。でも、アビーの話を聞いて、「多分同じ感覚!」と思いました。でも、旦那の様子を見ると、これって、普通の感覚ではないのですね。

アビーが「アスペルガー」の設定かどうかはわかりません。ただ、「unique」で「とっても変わっている」というところは、皆が納得するところだと思います。それと、とっても自己肯定感も高い。本当に、私と似ているところが多いのです。

アビーの愛すべきキャラクターは、アスペ要素ではない別の「何か」なのかもしれません。また、ドラマのキャラクターではあります。でも、アビーの存在は、アスペルガーの希望のように思えてならないのです。アスペルガーでよかったかも、とさえ思ってしまいます。

少し脱線2 アスペルガーの私のこだわり(食べ物編)

前回の補足を少し。私はけち臭いとか心が狭いとかではないんですよ(・・・多分)。一種の「こだわり」なんでしょうね。

私が、「私の物」と思って食べ物を買う時、苺なら苺という物も指定となりますが、量も指定となるのです。そしてそれは、指定された瞬間から、私の一部となるのです。実際、すぐ近い未来に私のお腹の中に入り、私の一部となりますので。

「私の物」を他の人に食べられるというのは、自分の一部が喪失した感覚なのです。私の中ではかなりのショックとなります。

実家に住んでいた頃は、母だろうと妹だろうと、「私の物」と思って買った食べ物を分けてあげるなんてことは考えもしませんでしたし、しませんでした。「沢山あるんだし頂戴」と言われても、「いやいや、これは私が買ってきたものだから」と分けることは完全拒否でしたね。

初めて、息子ちゃんがきらきらした目を私に向けて「頂戴」と言われた時は、はっきりと覚えていませんが、呆然としたのは覚えています。「駄目」という気持ちと、「分けてあげるべき」という気持ちがぐるぐる回って、答えが出ない状況でした。最終的には、自分の一部を差し出す気持ちで分けてあげました。まさに私の成長の瞬間!です。でも、半分は無理で3分の1くらいだったと思います。息子ちゃんが小さい時は、半分こにして食べる時でも大きい方を母親いくれる子でしたので、当時は貰えただけで喜んでいました。

そのうち段々と半分を分けてあげることができるようになりました。教育上、均等に半分こしないとよくありませんから仕方ありません。半分が無くなったという喪失感は残るのですが、それに堪えられるようになったという感じです。

でも、そこに旦那が乱入すると三等分になります。「私の物」の半分以上が喪失するのです。私の一部が半分以上無くなるなんて、もうアイデンティティの危機です。私の中は大混乱となります。

昔は、断固拒否したりもしていました。「これ、私が買ってきたものだから!」と。旦那からは、哀れみと非難の目を向けられて、「お前はなんで皆で一緒に食べようと思わないんだ」と言われ続けました。正直なところ、自分一人で味わって食べるのが一番好きなのです。自分一人で味わう方が、自分の一部となる感覚をしっかり感じられますから。

ただ、子供も成長するにつれ、私も大分成長しました。やっぱり「分けてあげる」ということは大事なことで、それができない自分は問題があるということを理解したのです。子供の教育上やっぱりよくありません。一応母親ですので。

ちょっと前から、自分のアイデンティティの危機を覚悟して、三等分するようになりました。心の中では「それは、私の一部なの~」と叫んでいますが。必死に堪えている状況です。・・・なので三等分でも、旦那の分は少し減らしていたのです。少しでも自分を保つために。

苺を2パック買った時の精神の安定から言うと、「私の物」と思った食べ物は多く買うことに今後はしようと思っています。私は、沢山食べたいとか一番多く食べたいとかではないんです。「私の物」と思った量分を食べたいだけです。

こればっかりは成長が難しいので、現実に合わせて方法を考えることで乗り切るのも、社会の中で生きていくためには重要なんだと思います。

少し脱線1 アスペルガーの私と苺

私が食べ物を買うとき。「皆の物」、「他人(家族含む)の物」、「私の物」という3つの基準で買います。

「皆の物」は、皆の物なので誰が食べてもOKです。「他人(家族含む)の物」は、誰かから「買って」と頼まれたもので、絶対に自分は食べません。例えば旦那から「この袋菓子を買って」と言われて買ったら、それは彼の物であり、それが自分の好きな物であったとしても食べたいとか食べようとか思わないのです。自分が食べるなら「私の物」という基準で、もう一つ買います。

私が食べるのは、「皆の物」か「私の物」という基準で買ったものだけ。

ちなみに「私の物」は私だけが食べる物であり、誰かと分けようとは全く思いません。はっきり言えば分けたくありません。何というか、自分の中に入られたような感じがして、すごく嫌です。なので、「他人の物」は食べないのだと思います。

夕飯の買い物を家族で行った際に、おいしそうな苺がありました。「私の物」という基準で買いました。

夕飯の後に、苺を出して食べようとしたら、息子ちゃんが「苺食べたい!」と言いました。よく考えれば当たり前ですよね。でも、全くの想定外です。何で皆の前で食べるんだと思われる方もいるでしょう。私の思考は自分の中で完結するので、自分が食べたい→夕食においしく食べている自分、で終わりです。苺を食べている時に、傍にいる人がどう思うかという発想が全く出ません。多分、私の思考には自分しか存在していないんです。もちろん、その場面に直面すれば理解できます。息子ちゃんが「苺食べたい!」と言った時には、しまったとは思いました。

さらに、この苺は「私の物」という基準で買った物です。息子ちゃんとはいえ、分けるのは本当は嫌で、葛藤しました。いや、葛藤すること自体が母親として問題有だとは思います。でも、何か嫌なんですよね。そうは言っても、一応母親。自分を殺して、半分を息子ちゃんにあげました。すると、旦那が「俺のは?」と言い出しました。思わず「はー?」と声を出してしまいました。三等分するというのは私の中でも受け入れられないことだったのです。・・・とはいえ、旦那の非難の眼差しに打ち勝てず、三等分はしました。もうこの時に私はずたぼろです。

自分が欲しいと思って買った食べ物は、「私の物」であり、本当に分けるのが嫌なんです。自分の中を踏み散らかされたような気分になります。

その後、またおいしそうな苺があり、「食べたい」と思い買おうとしました。でも、前回の失敗を思い出し、「皆の物」と自分を思い込ませて買いました。なので、ちゃんと3人で分けましたよ。でも、やっぱり何か嫌だったんです。やっぱりそれは、「私の物」だったからです。一度「私の物」と思ってしまったら、中々「皆の物」とすり替えができなくなります。

そしてついこの間、またおいしそうな苺がありました。「私の物」と思ってしまっている自分に気付いたので、2パック買いました。なので、三等分しても気分はとても良く。これからは2パック買えばいいんだ、と思いました。

でもその後、息子ちゃんと旦那の行動で悩むことになります。

息子ちゃんは、「いつもお父さんが少ないから、今日はお父さんに多くあげようね」と言って、私・息子ちゃん6個、旦那が7個と皿にそれぞれ分けました。・・・さっきは三等分と言いましたが、旦那にはいつも少なめに分けていました。でも、息子ちゃんとは同じに分けます。たまに多くあげます。本当は一番多く食べたいとは思っていますが・・・。だって「私の物」ですから。しかし、子供ってよく見てますね。ちょっと後ろめたい気分にはなりました。

その日は、旦那が仕事で遅かったので、私と息子ちゃんとでまずは苺を食べました。息子ちゃんが寝た後に旦那が帰ってきて、「息子ちゃんが、お父さんには1個多くあげようって言って分けたんだよ」と教えてあげました。すると、旦那はえらく嬉しそうで、苺を3個残しました。次の日に息子ちゃんが食べるように。

私には思いもよらない行動でした。「私の物」と思ったものを、自分以外の人のために残すということは私にはできないというか、考えが及びません。しかも3個。私が万が一残す場合、さすがに1個では何なので、残すのは2個にすると思います。でも3個は絶対に残しません。それは、自信があります。旦那の思考はやっぱり理解ができません。いや、一般的に「良いこと」だとは分かりますよ。

次の日は旦那は出張でいなかったので、私から旦那が息子ちゃんのために苺を3個残していることを教えてあげました。息子ちゃんは大喜び。苺大好きですから。その後、旦那に電話をすることになり、息子ちゃんと旦那が何か話しています。よく話が見えなかったのですが、息子ちゃんが電話を切った後、悲しそうな顔をして「お父さんが帰ってくる頃には苺がくさっちゃうの?」と聞きました。どうやら、苺はお父さんが食べてと言ったようです。息子ちゃんは苺をお父さんにあげられなくて悲しそうにしていましたが、苺はおいしそうに食べていました。自分に残してくれた苺をまた残そうとする息子ちゃん・・・。

これって普通の感覚なんでしょうか?

全く分かりません。旦那は、息子ちゃんが喜ぶことが自分の喜びなので、息子ちゃんと喜ばせたくて苺を残したのでしょう。よく考えれば旦那の思考は分かりますが、自分が自発的にそう思えるようになるのにはまだまだ大きな道のりがある気がします。息子ちゃんは自発的というよりは、「良いこと」をすることに今は喜びを感じているところがあります。それはそれでいいことだとは思いますが。

分けてあげる。

当たり前なことなのに、躊躇してしまう自分がいます。もちろん、アフリカの子達が目の前にいたら、「私の物」でも全部分けてあげます。極悪非道の人間ではないですから。でも、それはもう「私の物」ではなくなるからなのかもしれません。

「私の物」を分けてあげる。

これは本当に大きな壁です。でも昔は、もっと酷かったです。これでも成長したんですよ。母の前で、自分が買ってきた果物とかケーキとか一人で食べてましたから。母も私が分けるという発想をしないことはよく理解していました。何度か「少し頂戴」と言われた事があった気もしますが、「これ私が買ってきたものだから」と、分けることはほとんど無かったように記憶しています。ケチとかではないんです。母が食べたいと言ったら、「母の分」をちゃんと買ってきます。分けられるようになっただけ、すごい成長です。

でも、成長すべきところがまだ多々残っていると感じた出来事でした。

アスペルガーでも成長する4 テストで学年一番?①

10のきっかけその4・・・テストで学年一番を取り、自分が「変」ではないかと気付く。

自分が変なのではと初めて気付いたのは、中学校最初の中間テストで学年1番を取った時です。

あの時の衝撃は今でも覚えています。今の中学校ではテストの結果って掲示されないのかもしれませんが、私の時代は廊下に掲示されていました。私の名前が一番最初に書かれているのを見て、廊下で呆然としました。この時初めて、私は何かおかしいのでは、と思いました。だってどう考えても一番を取れるはずがないんですから。そして、次の期末テストも一番。もうただ恐怖でしたね。

小学校の頃は、中の上ってくらいだったと思います。私の小学校は、テストがあると先生が教室から出て行くので、皆で見せ合いっこをして、全員が100点という感じでした。小学校ってそんなものと思っていましたが、息子ちゃんの小学校と比べると、ものすごーくゆるい小学校だったんだと思います。小学校って勉強するところという認識は全くありませんでしたから。

しかし、中学校はしっかりと授業があります。中学校に入ってからというもの、授業を聞くのが苦痛で苦痛で。当時は、授業中に歩き回る子も結構いたので、授業を聞けないことが変だとはあまり思いませんでした。私は歩かないだけいい方、みたいに思ってました。授業は一方的なので受け入れられなかったんでしょうね。授業を聞くのも苦痛だし、黒板をノートに写すのも苦痛だったので、ノートには漫画の模写を書いたり、そのうち自分の空想の世界を文字にするようになりました。

ただ、中学校から英語と数学の週2時間2回の塾に行くようになりました。個人塾だったのですが、教え方が上手で、この塾は結構好きでしたね。でも、宿題はせず、塾の始まる5分前に慌ててやるということを3年間繰り返し、5分で終わらせられたので、塾の先生からは呆れられながらもあまり注意されませんでした。

家では、予習どころか宿題もしません。宿題は学校の休み時間に慌ててやる感じでした。遊びに行ってない日は、テレビを見ているか漫画を読んでいるかのどっちかで。妹が遊んでとか勉強を教えてと来た時に、「テレビ見てない時か漫画読んでない時に言って」と言ったら、「そんな時ないでしょ」と怒って喧嘩になったほど、それしかしてませんでした。勉強をするのは、試験の1日前に、理科と社会の参考書を丸暗記するだけ。本当の一夜漬けです。英語と数学は塾での勉強だけ。国語は勘で乗り切る、なので一番成績が悪い。数学が得意で塾で伸びたのだと思います。暗記力は抜群に良く、一度読めば覚えられました。まさにアスペルガーの特徴ですね。暗記は短期記憶にしかならないと思っていたのですが、結構長期に覚えていたようで、中学校の3年間は、学年3番から落ちたことがありませんでした。

私の中学校は、市内では下の方の学区だったとはいえ、1学年400名弱いたんです。しかも、当時は年に数回は業者テストなるものがあって、市内の中学校が一斉にテストを受けるようになっており、市内の順番も分かるようになっていたのですが、授業を聞いていない私は学校のテストより実力テストの方が点数が伸びるので、市内でも上位にいたらしいです。いたらしい、というのは、その頃は自分の成績に興味が無く、周りがそう教えてくれて知ったという感じでした。

自慢のように聞こえるかもしれませんが、この勉強方法で一番とってもだたの恐怖です。さすがに、私は何かがおかしいのではと疑い始めました。地頭がいい人もいるとは思いますが、勉強していないのに成績が抜群にいいって、要注意ですよ。アスペルガーの特性がうまく働いている可能性もあります。自分がそうだったとか、うちの子がそうだとかいう方は、コミュニケーション能力がどうかをよく考えてみてください。私は明らかにコミュニケーション能力問題有でしたから。ただ、自分で完結するタイプだったので、「いい子」と思われる事も多かったですが、必ず「変わっているけど」が頭につきます。

でも不思議なことに、成績が良いと、周りは「変な子」から「頭のいい子」という認識に変わります。浮いてはいましたが、変にいじられる事は少なくなりました。いじめがゼロになったわけではないですけどね。

「頭がいい子」という周りの認識のせいで、中学校の間は、色々と問題を抱えることになるのですが、その話はまた今度。


※仕事が忙しくなり、久しぶりの更新です。ブログは辞めないですが、ぼちぼちのペースで更新していきます。たまに更新の間隔が長くなったら、仕事が忙しいのだと思ってください。