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アスペ妻と理系男子夫とのおかしな夫婦闘争

アスペルガー自身から見たアスペルガーとは

アスペルガーでも成長する2 変なあなたが好き!

10のきっかけその2・・・小学校3年で、「変」とまわりが"思っている"ことに気付く。友達ができる。

変とまわりが思っていることに気付いたきっかけが、初めてできた親友と呼べる友達(これ以降杏ちゃん)です。杏ちゃんは、「変わっているあなたが大好き」とずかずかと私の中に入ってきました。私は自分の中に人が入ってくるのがとても嫌です。最初は少しの恐怖と戸惑いで、ちょっと距離をおいていました。しかし、杏ちゃんは、私と友達になると決めたから絶対に友達になる、という感じで毎日私に声をかけてきました。彼女も、まぁ、ちょっと変わった子でした。

そしてその時初めて、「変わっている」と思われているのは、私以外あまりいないことに気付きました。杏ちゃんが声をかけたのは、私と少し変わっていると言われていた苺ちゃんの二人だけだったからです。それで、私はまわりから「変」と思われているんだ、とようやく気付いたのです。

しかし私はここで、幸せな勘違いをします。「変わっている」ことはよいことなんだ、と。杏ちゃんは、「変わっている」ことは「普通」より素晴らしいこと、と本気で信じていました。


「変わっている」は、strangeではなくunique。「unique」なあなたは、素晴らしい。


そういわれ続けていると、unique(変わっている)というのは良いことなんだと思うようになりました。「変わっている」ことは悪いことではありません。ただ、「変わっている」ことで、いわゆる「普通」の人より困難に沢山ぶつかるのも真実です。私は、杏ちゃんのように、人は「普通」ではなく「変わっている」べきとまでは思いませんが、「unique」な部分を持つことは誰にとっても大事なことだとは今では思っています。

ただ、この時点で、自分が「変わっている」とは思っていません。また、「普通」が何なのかも分からないので、「変わっている」ということがどういうことなのかも分かりませんでした。

でも、杏ちゃんが自分を母より理解してくれているのはとてもよく分かり、自分の世界しか見えてなかった私は初めて、外の世界に目が向きました。自分を理解して受け入れてくれる人がいる、ということは、私に外の世界でも安心感を与えてくれたのです。母の名誉のために言っておきますが、母はいわゆる「普通」のとても優しい、素晴らしい母です。母は、ちゃんと私を受け入れてくれていましたが、私の不可解な行動や思考を理解することは難しかったようです。

杏ちゃんとの出会いで、つま先だけだった外の世界にようやく足首まで入ったと感じました。まだまだ自分だけの世界は大きく、そこから出ようなんて思いもしませんでしたが、外の世界に興味を持ち始めたのは間違いありません。杏ちゃんと苺ちゃんと遊ぶのはとても楽しく、とても安心できました。

でも、この頃の記憶は、杏ちゃんと苺ちゃんだけ。同じクラスの子さえ名前も顔も思い出せません。

しかし、それ以降、記憶はつながっていきます。杏ちゃんの存在は、私にとって大きな大きな一歩を踏み出させたのです。

アスペルガーでも成長する1 暗黒の時代②

この時期は私にとって暗黒の時代です。辛い思い出あるからではありません。記憶が本当にあまりないのです。

しかし、いつからか、私には空想の世界があり、それは結構よく覚えています。歩いている時はほぼいつも空想の世界の住人で、そして空想の世界に入りながら眠るという日々でした。現実よりも空想の世界が大好きで、かなり入り浸っていました。空想するためだけに歩いていたりしたので、他から見たら異様に見えたかもしれません。。。

最初は、大好きなマンガに自分が入るところから始まりましたが、色々と他の人物を登場させ、空想の世界は現実の世界と同様に進んでいきます。空想の世界の住民は、私とコミュニケーションがちゃんと取れ、自分を理解して受入れてくれるので、本当に居心地のよい世界でした。

しかし、現実の世界では、私とコミュニケーションを取れる人が少なく、私を理解して受け入れてくれる人もいませんでした。でも、私には空想の世界の住民達がいたので、全く寂しくなかったのです。そのためか、現実の世界で他人と深く関わろうとも思いませんでした。

もちろん、当時は近所の子供達が集まって、缶けりしたりかくれんぼしたりというのが普通だったので、誘われればそういった遊びにも行っていました。全く他人と交流が無かったわけではありません。一人でいる方が好きで、たまに居留守をつかったりしたこともありましたが、外で遊ぶんだら遊んだで楽しくはありました。月に一、二回は友達の家に行くことことにこだわっていましたし、空想するために歩き回っていたので、ずっと家にいたわけではありません。

また、異常なほどの集中力というか、思考が一方通行になることがよくありました。例えば、マンガを読んでいると全く周りの音が耳に届かなくなり、自分を呼んでいる声も聞こえませんでした。マンガでもテレビでも、一旦スイッチが入ると、その中に入りこみ、周りをシャットダウンさせていました。母親に、何度もその状態を怒られた記憶があります。


他人が自分のことを「変」と言っていることに気づく。


これってそんなに大きなきっかけなのかと思うかもしれません。でも、これは初めて外の世界に興味を持った瞬間だったのです。小学2年生の頃だと思いますが、いつだったかははっきりとは覚えていません。でもそれは、社会(外の世界)へつま先が入った瞬間でした。

知的に問題は全く無かったので、「普通」に見えるはずなのに、会う人会う人から「変わっているわね」と言われるのです。あまり言われるので、他の人も言われていることだと思っていました。そして、その意味することまでは、その頃の私は、興味を持つことはありませんでした。

本当にびっくりするくらい、外の情報が自分の中に入ってくるのは時間がかかるんです。それは、外の世界に興味が無かったからなんです。

アスペルガーでも成長する1 暗黒の時代①

このブログを書こうと思ったのは、アスペルガーで悩んでいる人、自分の子がアスペルガーで悩んでいる人が、私の成長のきっかけを知って、何かヒントが見つかればと思ったからです。そうそう、自分(うちの子)もそうだったと共感してもらってもいいし、自分(うちの子)はこんなに酷くなかったと比較してもらってもいいです。アスペルガーと言っても、症状は様々で、私はそれほど重症ではないのかもしれませんし、色々なきっかけのおかげで、かなり成長することができたと思っています。

ただ、一つ言えることは、成長するのは非常に時間がかかります。本当にびっくりするくらい、こんなことなのに?と思うほど理解するのに時間がかかります。

まず10のきっかけの最初のきっかけ。


1.小学2年生・・・自分のことを「変」と人が言っていることに気付く。


小学2年生でようやく他人が自分のことを「変わっているわね」と言っていることに気付いたんです。それまでは、他人の言葉は私の中には入ってきてなかったのです。右から左へと通りすぎて行っていただけでした。でも、他人が自分を「変わっている」と思っていることに気付くのは、翌年友達ができてからです。それまでは、「可愛いね」とか「優しいね」とかと同じように、「変わっているね」は子供に対して言う言葉なんだと思っていました。意味が無い言葉と思っていました。だから、「変わっているね」と言われても、何とも思いませんでしたし、特に反応もしませんでした。だからよけい「変わっている子」と思われていたんでしょうね。

私の幼少期が変だったなとつくづく思うのは、自分の息子ちゃんを見ている時です。「お母さん、大好き」とべたべたしてきます。私は・・・母親にべたべたした記憶がありません。妹がいたせいかもしれませんが、まず「べたべたしたい」と思ったことが無かったように思います。母親に迷惑をかけた記憶がないというのは、母親に何かを求めたことが無いからです。そういう意味では、息子ちゃんはアスペルガーではないのかな?と思っています。

何よりも不思議なのが、小学校に入る前の記憶がほとんどないことです。多分、周りに興味が無かったからでしょう。記憶がある程度繋がって出てくるのが、小学校1年生くらいからです。

小学校一年生で覚えていることは、友達の家に遊びに行っていたこと。

こう言うと、普通の子だと思うかもしれませんが、当時の私は、「沢山の友達の家に行くこと」にこだわりを持っていて、誰構わずに遊びに行っていいかと聞いていました。「いいよ」と言ってくれた友達の家に遊びに行き、何をするかというとその家にあるマンガを読むだけです。そして、2回遊びに行くことはほとんどありませんでした。また、遊びに行った子達と、学校で遊んだ記憶もありません。ただ、自分のこだわりを満たしたいだけだったのです。家に遊びに行くことを断られた子の家にどうしても行きたくて、勝手にその子の後をついていったこともあります。怖がられましたが、確かに怖いですよね。

つづきは明日。

アスペルガーでも成長する 補足:strangeではなくunique

前回のブログの後気付いたのですが、私が成長した一番最初の大きなきっかけは、小学3年生の時にできた友達だったのかもしれません。これが大きな分岐点だったのだと思います。この時に、この友達がいなかったら、私はもっと長い間自分の世界だけに留まり、成長も遅くなって、今のこの状況まで来れなかったように思います。

この友達は、「変わっているあなたが好き」と私の世界にずかずかと入ってきて、自分だけの世界で完結していた私を、社会(外の世界)へ引きづりこみました。最初は、少し拒絶反応をしたのを覚えていますが、それでもずかずかと私の中に入ってくるこの友達を私は徐々に受け入れ、大好きになりました。そしてその時、つま先しか入っていなかった社会に足首まで入ったのだと思います。この友達は、アスペルガーではないと思いますが、変わっていました。そして、ご両親の影響で、変わっている人=ユニークな人と思い込んでいたようです。

英語で「変わっている」は一般的に「strange」ですが、彼女は「unique」と理解していました。

「unique」

この単語は、私に自信をくれました。「unique」の一番の意味をご存知でしょうか。「ただ一つだけの、他に存在しない、唯一無二の」です。

そう、私達アスペルガーは唯一無二の存在なのです。

確かに他人の気持ちを理解できないので、他人を傷つけてしまうことがよくあります。私もきっと、沢山の人を傷つけてきたと思います。また、傷つけたと気付かなかったり、理解できなかったり、気付いてもすごく時間がかかったりします。

詳細は今度書きたいと思いますが、私にも人を傷つけた大きな失敗があります。しかし、その失敗を本当に理解したのは、10年後です。そしてその時、私は自分が成長しなければと思ったのです。取り返しはつきませんが、もう二度とこんなことは起こさないようにしようと心に決めました。私は人の評価が気にならないので、その時、人がどう感じたかということを実はあまり気になりません。でも、真に自分のしたことが理解できた時、それは自分の世界の中に入り込むので、本当に悔やみます。すごく時間がかかったり、理解できなかったりすることも多いですが。

また、私達アスペルガーはコミュニケーションが中々成り立ちません。それゆえ、「浮いた存在」になりがちです。

でも、こういった負の特性を理解して成長し、人とのコミュニケーションが少し成り立つようになると世界は本当に広がるのです。

それに、アスペルガーには、優れた特性もあります。

私の理系男子夫は、研究・開発関係の仕事をしています。理系・文系にかかわらず「研究」の世界にはアスペルガーの特徴を持つ人達が本当に沢山います。これは、アスペルガーの特徴をうまく伸ばすことができた例だと思います。

私は、事務系の仕事ですが、「記憶力が抜群によい」「集中力がはんばない」という特性をうまく作用させ、また、「こだわりが強い」も仕事関連のもにすることにより、結果がうまくでるようになりました。そして、徐々にコミュニケーション能力も成長してきたことから、それなりに仕事でも信頼を得られるようになりました。

自分の与えられた環境で、自分の特性をうまく発揮させることが重要です。これはアスペルガーだけの話ではないですが、アスペルガーにはいわゆる「一般の人」よりも優れた特性もあるんです。その特性を上手に伸ばすと、本当にうまく作用することがあります。

自分が特性を理解するのが一番ですが、すごく時間がかかるので、お母さんだったり友達だったり、そういった人が導いてあげるのも需要だと思います。何にせよ、どんな形でもよいので、社会と関わらせてあげるのが大事だと思います。

自分だけの世界から少し外の世界へ。

完全に外の世界に入ることは難しいと思いますし、無理だと思います。足だけでもいいのです。腕だけでもいいのです。その状態が居心地がよくなったら、きっと世界が変わってきます。

そしてそれは、周りの人を傷つけなくなることへの第一歩になると思います。

アスペルガーでも成長する ~10のきっかけ~

アスペルガーでも成長するんです。

治るとかではなく、成長するんです。
私には、細かいところは色々ありますが、大きく分けると成長の10のきっかけがありました。それをご紹介します。


1.小学2年生・・・自分のことを「変」と人が言っていることに気付く。

2.小学3年生・・・自分が「変」と思われていることに気付く。友達ができる。

3.小学5年生・・・「変」の意味を理解する。

4.中学1年生・・・自分が「変」なのではないかと気付く。

5.中学2年生・・・空想の世界を持っている人はあまりいないことに気付く。

6.高校2年生・・・友達から「話が飛ぶ」と言われ、なぜ会話が成り立たなかったかに気付く。

7.アメリカ滞在中(1年弱)
       ・・・主張しないと、何もできないことに気付く。孤独を真に理解する。

8.出産・・・・・・自分の世界に他人が入ってくることを受け入れる。アスペルガーだと自覚する。

9.5年前・・・・・上司に報告中、「お前の報告は、主語がないからよく分からない」と指摘をうけ、自分の会話の問題に気付く。

10.2年前・・・・高校の友達から、自己肯定感が高いことを指摘され、客観的に今まで事柄を理解できるようになる。


この中での一番の大きなきっかけは、6の高校2年生の時の出来事です。このおかげで、それから会話が成り立つようになり、自分の問題点が分かりました。次の大きな出来事はアメリカ滞在で、「孤独」を真に理解したこと。私は基本的に、一人で完結する方が好きです。一人でいる方が好きですし、他人にあまり興味もありませんし、他人の評価も気になりません。でも、社会から完全に孤立することは受け入れられないと思います。アメリカに滞在したおかげで、社会に足くらいは入っていたいと思うようになりました。

成長には時間がかかります。いくら他人から指摘されても、自分が納得しなければ理解できないのです。時間がかかりながらも成長し、周りの人からの刺激を受けて、社会に最初はつま先から入り、今は足は全部入ったかなと思っています。これくらいの感じが私は居心地がよいです。

たまに、こだわりが強くなったり、優先順位が分からなくなったり、特徴が顕著に出ることは今でもあります。でも、いわゆる「一般の人」でもイライラしたりすることもあるので、それほど異質に見られることは無くなったと思っています。

重要なのは、いつもは「普通」と思われる行動ができていること。

そして、その「普通」と思われる行動をすることが、意識的ではなく、自然にできるようになること。

それが、成長の最終段階だと思います。

そんなに無理しなくてもいいのでは、と思う人がいるかもしれません。無理をしているわけではないのです。考え方を少し変えるだけです。

私はアスペルガーは一つの個性だと思っています。アスペルガーで嫌だと思ったことは、実はあまりありません。でも、やっぱり気づかぬうちに人を傷つけていました。人を傷つけるのは嫌です。だから成長しようと思ったのです。

そうすると、世界が広がりました。そして、自分が「生きづらい」と感じていたことが段々分かってきました。ずっと、何か人と接するたびに「違和感」は感じていたんです。その「違和感」の理由が分かり、それを解決できるようになると、人とのコミュニケーションするのも悪くはないと思えるようになりました。

ま、一人が一番好きっていうのは変わらないんですが。
次からは、1~10のきっかけを詳しく書いていきます。

アスペルガーとカミングアウトした時の母と妹の反応

まず、なぜ私がアスペルガーかと自覚したのか。それは、子供が生まれて育児書を読んだからです。育児書を読んだ人は分かると思いますが、育児書って発達障害についての説明がかなり詳細に書いてあるんです。


育児書読んだ時、愕然としました。答えがそこにあったからです。そう、ずっと疑問に思っていた答えが書いてありました。

私はなぜ周りと違うのか。なぜ皆が「変」と私を言うのか。ずっと不思議に思っていました。

でも、アスペルガーの特徴なのでしょう。別に悩んでいたわけではありません。それに、自分がアスペルガーと自覚してショックもありませんでした。「そういうことだったんだ」と納得しただけです。

自分以外の人に自分がアスペルガーだと初めてカミングアウトしたのは、子供がまだよちよち歩きの頃、高校の友達の家に遊びに行った時です。アスペルガーのことは、別に隠そうとしていたわけではなく、育休中でほとんど家から出ない日々だったので、ただ単に話す機会が無かっただけでした。ただ、自分の子供がアスペルガーかもと心配はしていて、子供成長をよく見るようにしてはいました。自分が今までどれだけ生きづらかったかをよく知っているので、療養とかで生きづらさが少しでもよくなるなら、そうしてあげたかった。今のところ、息子ちゃんは、多分違うような気がします。でも最近、小学校の先生から「忘れ物が多いです」と連絡が来るのがちょっと気になってはいます。私は・・・超忘れ物が多い子供でしたので。。。

初めてのカミングアウトの発端は、その友達から「私、自分がADHDだと思うんだよね」と話題を振ってきたからです。私は、「私は自分がアスペルガーだと思う!」と嬉しくなり、その後は、発達障害の話で盛り上がりました。

高校時代の友達は、私以上に個性的な子が多く、ほとんどが何らかしらの発達障害を持ってそうな気がします。その地区の一番の進学校だったんですが、超進学校って、知的障害を伴わない発達障害が一定数間違いなくいます。類は類を呼ぶとは言ったもので、私の仲のよいグループのメンバー全員が学校で浮いていました。浮いていても、みんな気にもせず、楽しく高校生活を送っていました。高校時代の友達のみんながみんな、高校生活が一番楽しかったと言います。それはきっと、みんなそれまで生きづらかったんでしょうね。高校は一番友達が増えた時期で、私ものびのび生活ができ、一番楽しい時期でした。この話はまた今度。

発達障害の話が盛り上がって楽しかったので、他の知り合いにも「私ってアスペルガーだと思うんだよね~」と話題を何度か振りました。いわゆる「一般の人々」にです。「何言ってるの、そんな事ないよ~」と毎回言われ、微妙に話題が盛り上がりません。盛り上がらない理由もよく分からなかったのですが、旦那から「話をするなら笑いを取れ」と教育され、反抗しつつも少し染まっていた私は、盛り上がらないから話はしないようになってました。うちの旦那はアスペルガーではないのですが、めんどくさいおかしな人です。本当はこの話をしたくてブログを始めようと思ったのですが、この話もまた今度。

そんなかんなで数年が過ぎ、母と妹と3人で一緒に話をしている時に、何となく「私ってアスペルガーだと思うんだよね」て話をしました。

二人とも「今頃気づいたの?」と興味なさそうな顔をして私をじっと見るだけ。

何らかしらのリアクションを期待していた私は超不満でした。もう少し興味を持つとか、驚くとか反応があるでしょう。

「自分の事しか興味ない子だったもんね」(母)。「浮いていたもんね」(妹)。興味なさそうに言った言葉がそれでした。

・・・いや、確かに自分にしか興味が無かったし、浮いていたとは思う。

「でも、私、いい子だったでしょう?」

論点はそこじゃないのだけど、ちょっと反抗してみました。親に反抗することも少なく、勉強もでき、わがままもあまり言わない良い子だったはず。

「自分の事しか興味が無かったからでしょう」(母)。

・・・ぐうの音もでないとはこのことで。小学校の頃、私は空想の世界と現実世界を行ったり来たりが大変で、自分の中ですべてが完結し、自分以外の人の評価とかは全く興味がありませんでした。そう思うと本当に成長したな、私。

「お父さんも発達障害だったと思うんだよね。やっぱり遺伝かな」と私がしみじみ呟くと、「お父さんは昔気質で職人気質だっただけで、発達障害とかではないよ」(母)、「お父さんは頑固だっただけだよ」(妹)と、なぜか反論されました。

父は亡くなっているのですが、仕事を十数回変えています。理由は人間関係。コミュニケーション下手な人でした。まさに、発達障害の特徴だと思うのです。でも、母も妹も頑なに賛成しません。

なぜ!!私の時はあんなにあっさりな反応だったのに、納得できない!!私よりもコミュニケーション下手だった父なのに、私は発達障害(認定)で、父は発達障害(未承認)てどういうこと!!

未だに納得がいかないところですが、それだけ私は周りから見て「変」だったということなのかもしれません。。。。

アスペルガーは治らないが成長できる

ついこの間、テレビでアスペを紹介していて、専門家が「アスペルガーは治らないが、「普通」と周りが思える程度に成長はできる」と言っているのを聞いて、なるほどと思いました。私も、何段階かのステップを経て成長し、周りからは「ちょっと変わった人」くらいで受け入れてもらえています(多分)。

大学卒業して入った職場で十数年勤務し、末端の中間管理職程度ですが、そこそこ仕事も認められ、平均年収以上の給与は貰っています。職場環境もよく、人間関係も良好です。

結婚もして、小学生低学年の息子が一人います。

ただ、ここまで来るのにはやはり山あり谷ありでした。

全員ではないですが、ほとんど人が私を「普通」と思ってくれるまでに成長できた過程を綴り、それが誰かのキーワードになればといいなぁと思っています。